何物をか見て憧《あこが》れているかのように見えた。足のコンパスは思い切って広く、トットと小きざみに歩くその早さ! 演習に朝出る兵隊さんもこれにはいつも三舎を避けた。
 たいてい洋服で、それもスコッチの毛の摩《す》れてなくなった鳶色《とびいろ》の古背広、上にはおったインバネスも羊羹色《ようかんいろ》に黄ばんで、右の手には犬の頭のすぐ取れる安ステッキをつき、柄《がら》にない海老茶色《えびちゃいろ》の風呂敷《ふろしき》包みをかかえながら、左の手はポッケットに入れている。
 四《よ》ツ目《め》垣《がき》の外を通りかかると、
「今お出かけだ!」
 と、田舎の角の植木屋の主婦が口の中で言った。
 その植木屋も新建ちの一軒家で、売り物のひょろ松やら樫《かし》やら黄楊《つげ》やら八ツ手やらがその周囲にだらしなく植え付けられてあるが、その向こうには千駄谷の街道を持っている新開の屋敷町が参差《しんし》として連なって、二階のガラス窓には朝日の光がきらきらと輝き渡った。左は角筈《つのはず》の工場の幾棟、細い煙筒からはもう労働に取りかかった朝の煙がくろく低く靡《なび》いている。晴れた空には林を越して電信柱が頭だ
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