こうを通って、新建ちのりっぱな邸宅の門をつらねている間を抜けて、牛の鳴き声の聞こえる牧場、樫《かし》の大樹に連なっている小径《こみち》――その向こうをだらだらと下った丘陵《おか》の蔭《かげ》の一軒家、毎朝かれはそこから出てくるので、丈《たけ》の低い要垣《かなめがき》を周囲に取りまわして、三間くらいと思われる家の構造《つくり》、床の低いのと屋根の低いのを見ても、貸家建ての粗雑《ぞんざい》な普請《ふしん》であることがわかる。小さな門を中に入らなくとも、路《みち》から庭や座敷がすっかり見えて、篠竹《しのだけ》の五、六本|生《は》えている下に、沈丁花《じんちょうげ》の小さいのが二、三株咲いているが、そのそばには鉢植《はちう》えの花ものが五つ六つだらしなく並べられてある。細君らしい二十五、六の女がかいがいしく襷掛《たすきが》けになって働いていると、四歳くらいの男の児《こ》と六歳くらいの女の児とが、座敷の次の間の縁側の日当たりの好いところに出て、しきりに何ごとをか言って遊んでいる。
 家の南側に、釣瓶《つるべ》を伏せた井戸があるが、十時ころになると、天気さえよければ、細君はそこに盥《たらい》を持ち出して、しきりに洗濯《せんたく》をやる。着物を洗う水の音がざぶざぶとのどかに聞こえて、隣の白蓮《びゃくれん》の美しく春の日に光るのが、なんとも言えぬ平和な趣をあたりに展《ひろ》げる。細君はなるほどもう色は衰えているが、娘盛りにはこれでも十人並み以上であったろうと思われる。やや旧派の束髪に結って、ふっくりとした前髪を取ってあるが、着物は木綿の縞物《しまもの》を着て、海老茶色《えびちゃいろ》の帯の末端《すえ》が地について、帯揚げのところが、洗濯の手を動かすたびにかすかに揺《うご》く。しばらくすると、末の男の児が、かアちゃんかアちゃんと遠くから呼んできて、そばに来ると、いきなり懐《ふところ》の乳を探った。まアお待ちよと言ったが、なかなか言うことを聞きそうにもないので、洗濯の手を前垂《まえだ》れでそそくさと拭《ふ》いて、前の縁側に腰をかけて、子供を抱いてやった。そこへ総領の女の児も来て立っている。
 客間兼帯の書斎は六畳で、ガラスの嵌《は》まった小さい西洋書箱《ほんばこ》が西の壁につけて置かれてあって、栗《くり》の木の机がそれと反対の側に据《す》えられてある。床の間には春蘭《しゅんらん》の鉢《
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