少女病
田山花袋
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)代々木《よよぎ》
|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)昼間|出逢《であ》っても
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、底本のページと行数)
(例)※[#「※」は「奇+攴」、第3水準1−85−9、117−8]
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一
山手線の朝の七時二十分の上り汽車が、代々木《よよぎ》の電車停留場の崖下《がけした》を地響きさせて通るころ、千駄谷《せんだがや》の田畝《たんぼ》をてくてくと歩いていく男がある。この男の通らぬことはいかな日にもないので、雨の日には泥濘《でいねい》の深い田畝道《たんぼみち》に古い長靴《ながぐつ》を引きずっていくし、風の吹く朝には帽子を阿弥陀《あみだ》にかぶって塵埃《じんあい》を避けるようにして通るし、沿道の家々の人は、遠くからその姿を見知って、もうあの人が通ったから、あなたお役所が遅《おそ》くなりますなどと春眠いぎたなき主人を揺り起こす軍人の細君もあるくらいだ。
この男の姿のこの田畝道にあらわれ出したのは、今からふた月ほど前、近郊の地が開けて、新しい家作がかなたの森の角《かど》、こなたの丘の上にでき上がって、某少将の邸宅、某会社重役の邸宅などの大きな構えが、武蔵野のなごりの櫟《くぬぎ》の大並木の間からちらちらと画のように見えるころであったが、その櫟《くぬぎ》の並木のかなたに、貸家建ての家屋が五、六軒並んであるというから、なんでもそこらに移転して来た人だろうとのもっぱらの評判であった。
何も人間が通るのに、評判を立てるほどのこともないのだが、淋《さび》しい田舎で人珍しいのと、それにこの男の姿がいかにも特色があって、そして鶩《あひる》の歩くような変てこな形をするので、なんともいえぬ不調和――その不調和が路傍の人々の閑《ひま》な眼を惹《ひ》くもととなった。
年のころ三十七、八、猫背《ねこぜ》で、獅子鼻《ししばな》で、反歯《そっぱ》で、色が浅黒くッて、頬髯《ほおひげ》が煩《うる》さそうに顔の半面を蔽《おお》って、ちょっと見ると恐ろしい容貌《ようぼう》、若い女などは昼間|出逢《であ》っても気味悪く思うほどだが、それにも似合わず、眼には柔和なやさしいところがあって、絶えず
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