見える町は、中でもことに灯が美しかつた。突然遠くの暗い闇の野を、灯の長くつゞいたものゝ動くのを見た。
『汽車!』
『それ、汽車が行く……』
 一行は皆な其方を見た。ひろい野には、長蛇のやうな汽車が徐かに動いて行くのであつた。『汽車! 汽車。』かう言つて、皆な其方の方を眺めた。
 そこから一里ほど行つた宿泊地に着いて、その夜は一行は慌たゞしくテントを吊つて寢たが、夜の明けた時には、山を越し野を越して、遙かに碧い渺茫とした海の繪のやうに展開されてあるのを見た。島の連つた彼方には白帆が靜かにあやつり人形のやうに動いた。
 これはもう故郷の近い徴であつた。故郷を出て三日路、其處でかれ等はいつもこの遠い海の光を見て、それから深い深い際限のない山の中に入つて行くのであつた。『海が見える……海が見える……。』かう言つた人達の胸には、やがて來る一年一度の歸國の宴が樂しく歴々と描かれてゐた。
 もう人達は落附いて仕事をしてゐられなくなつた。若者も娘達も夫婦連も、皆な一齊に、一刻も早く歸國を望んだ。
 しかし一行はまだ其處で後れたある一つの群を待たなければならなかつた。それは木曾の方の山に入つて行つた人達
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