かういふ鹿や猪は澤山にゐたもんだがな。今ぢや、もう滅多にやゐねえ。こんなに大きいのはめづらしいや。それと言ふのも、山が開けたからぢや。今ぢやもう此處等には、好い木さへなくなつた。それから思ふと、昔は好かつた。何をしようが、今のやうにやかましく咎められるやうなことはねえし、鳥でも獸でも澤山にゐたし、里に下りて行つたツてサアベルなんかにおどかされるやうなこともねえ……。近い山ぢやもう旨いことはねえだ。』老人達はかう言つて、昔の山の話をした。
 そこの谷合から高原へ出て、それからまた山を越した一行は、漸く故郷を去ること餘り遠くないあたりまで來てゐた。あるところでは、三日ほど雨に降りつゞけられて、佗しくテントの中に蹲踞つて暮した。其處では、かれ等は雨を犯して此方へやつて來た群と落合ふことが出來た。
 ある時は、途中で日が暮れて、大きな峠を越えて行かなければならなかつた。それは山から山を越して、遠くに、町、村、野、更に遠くに海を見るといふやうなところであつた。割合に、かれ等は町や里近くへと出て來てゐた。わるい路を辛うじて峠へ登りついた一行は、下に遠く町家の灯のついてゐるのを見た。山と山との峽から
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