ものがなかつたので山刀を振翳したり、木の根を持つたりして人々はそれを追ひ廻した。子供連もあとから飛んでついて行つた。女達も皆なテントの中から出て來た。ワアイといふ聲が一しきり谷のこだまにひゞいてきこえた。
『取れたかや?』向うから走つて來る男を取卷いて女達が訊いた。
『取れた、取れた、大きいだよ。』
 五六人の若者達は、やがて木の根に結へた大きな鹿をワイワイ言ひながらかついでやつて來た。
『成程大きいな。これは大きい。』などと傍に寄つて來た老人の一人は言つた。やがて刀はある若者に依つてとられた。そこに横へられた鹿は、やがて腹から割かれた、女や子供は大勢その周圍を取卷いて見てゐた。
 肉は彼方此方のテントへ洩れなく分配された。頭領のゐるテントでは、やがてそれを肴に樂しい面白い酒宴が始められた。石油を彼方此方から集めて來て、小さな三分のランプを點して、大きな鍋で、その肉は※[#「者/火」、第3水準1−87−52、98−13]られた。茶碗に一杯に波々と注いだ酒、地酒ではあるが、それでもかれ等を醉はせるには十分だ。やがて昔から傳へられた山の唄などが唄はれた。
『俺アの若い時分には、こゝらでも、
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