、西の方の大きな山脈に添つて、崖を渉つたり谷を越えたりしてやつて來た。種族の中でも聞えた老人が一人ゐて、その孫娘やら息子やら仲間やらが一緒になつて來た。老人は宿泊地の所在、水の所在、路程の遠近などをそらで知つてゐた。かれは幼い頃から一生を山で暮した。南部の奧へも行けば、九州の果てまでも行つた。よく若者をその周圍に集めて、彼方此方の山の話や、處々で遭難した冒險談などをしてきかせた。
 孫娘は二人あつた。姉をあぐりと言ひ、妹を小菊と言つた。あぐりは二十歳、小菊は十八歳、何方もこの冬には相應な夫を持たせて、一人前の山捗ぎをさせる筈になつてゐた。娘達の元氣に笑ふ聲は、山裾の遠いテントから常に洩れてきこえた。
 平公は常公に言つた。『何うだな。あのあまつ子は?』
『うむ……』
 常公はにやにや笑つてゐた。
 傍にゐた平公の嚊は、『妹の方が好がんべ。容色も好いし、氣立も好いや。それに肥つてるアな。』
『あはゝ。』
 平公も常公も笑つた。
『でもな、もつと好いのがあるかも知んねえでな。』
『ほんまに……』
『好いのを選る方が好いがな。あんまり選ると、終ひには、相手がなくなるぜや。俺の嚊のやうなもので
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