のみ心がけた。
『一刻も早く立去れ。』
『…………』
『わかつたか。』
『…………』
 翌日は、其處を去つて、かれ等は別なところへと移つた。一しきり雨の時節が通り過ぎると、今度は秋の美しい晴れた日が毎日續いた。重なり合つた山は、くつきりと線を碧空に劃して、破濤のやうに連りわたつた山嶺は、遠く廣く展開されて見えた。木の葉は紅葉して、朝日夕日は美しくこれを照し、月は銀のやうな光をあたりに漂はせた。谷川の囁くやうな響は微かに下に下に聞えた。
 鹿の鳴音が笛のやうに聞えた。
 それは廣い高原のやうなところであつた。草藪と林と落葉松とが廣くつゞいて、熊笹が一面に生え茂つた。ある日、夕日が西の山陰に沈んだ頃、平公はふとその廣い野原を越して、誰か五六人一緒に此方にやつて來るのを見た。後に負つた荷物と、杖と、桐油とは、矢張その同じ種族のものであるといふことを思はせた。
『おーい。』
『おーい。』
 呼び且つ答ふる聲がこだまに響いてきこえた。

         四

 一行は賑やかになつた。其處にも此處にもテントが張られて、若い娘や子供がバケツを下げて、水汲みにと谷川の方へ下りて行つた。後から來た群は
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