た。そこにある山奧の温泉は、川一面が湯で、上州でわかれた群の一人がその前の絶壁から落ちて怪我をした創傷を一日か二日で治したといふことがあつた。熊や猪などにも度々出會つた。
 かれ等はしかしかうした長い遠征をも決して辛いとは思つてゐなかつた。幼い頃から親に連れられ、仲間に伴はれて、草を枕に、露を衾に平氣で過して來た習慣は、全くかれ等をして原始の自然に馴れ親しませた。それにかれ等の血には放浪の血が長い間の歴史を持つて流れてゐた。
『此處まで來れや、もう、國へ歸つたも同じだな。』
 などと若い夫婦も言つた。夫婦はかなりに多く金を貯蓄して來た。かれ等も矢張、冬の會合のことを樂みにしてゐた。親にも逢へれば同胞にも逢へると思つてゐた。馴れてゐる故もあらうが、南部の山の險しいのに比べては、此方は平地のやうだなどと言つてゐた。
 其處にかれ等は一週間ほどゐた。平公夫婦の毎日里の方へ下りて行くのに引替へて、遠くから來た方の人達は、多くは山で遊んで暮した。
 平公夫婦の里に行つてゐる間に、ある日、里の人達らしい男が二人此方へとやつて來た。その時は別に何も言はずに歸つて行つたが、そのあくる日に、白い服を着て
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