つた老婦の眼には、ある山から下りて行つた森に圍まれた寺や、本堂や、珠數を繰つた人の好ささうな老僧や、山の上の火葬の夜のさまなどが、今も歴々と映つて見えた。
『これに骨が入つてゐるのだよ。』
かう言つて老婦はその持つてゐる小さな瓶を平公と常公に見せた。
かれ等は何んな遠い山の中で死んでも、決してその屍を異郷に葬ることはしなかつた。かれ等はさういふ不幸に出會すと、山の上で、木を集めて、それを火葬にして、いつも骨を遠くその故郷へ持つて來て埋めた。そこにはかれ等の祖先がゐた。古い系統と古い歴史とを持つたかれ等の寺があつた。
『まだ、若いだんべ。』
『二十七だよ。』
『まだ、上さんも持たずか?』
『今度歸つたら、嚊でも持たせべい思つてゐたゞよ。』
『可哀想なことをしたよな。』
老婦は涙を流した。利益の多い遠征ではあつたが、またそれだけ艱難の多い旅であつた。老婦は木の多い山、産物の豐富な山、淳良な氣風の里の話をすると共に、危い崖、恐ろしい猛獸、凄しい山海嘯の話などをした。其地方では恐ろしいのは警官ではなくして自然そのものであつた。日光の山奧などには、いくら伐つても伐り盡せないほどの木材があつ
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