上さん持てツて言ふんだ。』考へて、『大丈夫かな、來やしねえかえ、此處はまだ里に近いでな。』
『大丈夫だんべ。』
『でも、安心なんねえな。この向うの山越せや、大丈夫だがな。』
 俄かに平公は不安心になつて來た。飛んでもねえ奴に入つて來られたとも思つた。平公は明るくなつて來た空とまだ餘り遲くない日射とを見た。幸ひに此處には仕事はもう澤山に溜つてゐなかつた。四日ほど前に嚊と二人で里に下りて、仕事したものを米と金とに代へて來た。
『天氣も上りさうだで、向うまで行かうかや?』
『これから?』
 若い嚊は眼を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85、76−10]つて、
『でも、此處にゐちや、危ねえからな。』
『ぢや、おらつち一人行くべいか。』かう言つて常は立上つた。
『おめい、獨り行つたツて、おまはりが此處に來ちや駄目だアな。何アに好い。行くべい、行くべい。此處にや、もう用はねえだでな。』決心したやうに、『何アに、二里とちよつとだ。今、行けや、日のある中に向うへ行き着けるだ。』
 で、平公は急いで出發の準備に取懸つた。山から山へと放浪して行くかれ等の生活は、いざと言へば極めて單純なものであつた。鍋
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