、バケツ、鉈、鉞、鋸、さういふものも、箱に入れると、小さい包になつて了つた。樹に結びつけたテントを外して、夫れを小さくたゝんで、平公と若い嚊とはそれを適度にわけて負つた。
『氣の毒だつたな。』
かう何遍となく常公は言つた。
『何アに、何うせ、もう、明日か明後日は向うに行かうと思つてゐたんだ。』
雨はまた少し降つて來た。しかしかれ等は別にそれを苦にするといふでもなかつた。かれ等の立つた跡には、鉋屑と、竈と、燒火の跡とが殘つた。切り倒した木も縱横に散ばつてゐた。
かれ等が高原の草原から羊腸とした坂路にかゝる時には、それでも雨は晴れて、白い或は灰色の雲が渦まくやうに峯から峯へと湧き上つてゐた。雲の間からは、大きな深い紫色をした山が見えたりかくれたりしてゐた。名も知らない鳥が向うの山裾の深林の中で鳴いてゐた。
三
其處に三日ほどゐて、それから三人は又別の方へと移つて行つた。それでも常公は工夫になつて働いた時に貯めた金をまだいくらか持つてゐたので、金を出して、平公から米を分けて貰つた。
矢張、里に近いところでなければ、仕事をして、それを買つて貰ふことが出來なかつた。で、かれ等は前の山とは正反對の山の裾の處に來て、桐油を張つて五六日其處で暮した。秋はもういつかやつて來てゐた。山で取れるものには、初茸、松茸、しめじ、まひ茸などがあつた。しかしそれも時の間になくなつて、日が照つたり雨が降つたりしてゐる間に、朝晩は持つてゐた着物でも寒い位になつた。平公夫婦は、常公を山に置いては、さゝらだの木地だのを持つて里の方へ出かけて行つた。
ある日は大祭日か何かで、里では、國旗が學校や役場やその他の民家の軒にかゝげられて、酒に醉つて赤い顏をした人達が彼方此方を歩いてゐた。ある木地屋では、平公夫婦は酒や蕎麥を御馳走になつた。お金の澤山に取れた時には、かれ等は白鳥に一杯地酒を買つて、それを山に持つて來たりした。
常公はいつも獨りで別に桐油を樹間にかけた。かれは木地をつくるよりも、蜂を取つたり、岩魚を取つたりする方が得意で、岩魚は燒き串にさして、そして里へ持つて行つた。
『もう、冬が近づいた。國に歸るのももうぢきだ。』
かう言つて、平公は常公の桐油を訪ねた。この冬は是非嚊を持つやうに平公は勸めた。『一人で稼ぎに出るのと、二人で出るのとでは、大變な違ひだぞな。何しても二人だと樂みで好いだ。この冬に、うんと好いのをさがして、早く祝儀をする方が好い。』かう言ふかと思ふと、『でも、この冬は俺は樂しみがねえな。嚊のない時分には、一年一度國に歸るのが、何より樂しみだつたものだがなア。』
『でも、皆なに逢へるから、樂みでねえこともあんめい。』
『それはさうだがな。』
一年一度の同種族の會合、そこに集つて來る大勢の人々、彼方此方から持つて來るめづらしい御馳走、あの時の宴會の歡樂は、言葉にも言ひ盡すことが出來なかつた。大勢の若い娘達、それを其の日其の夜は何處に伴れて行つても差支なかつた。樹間に幾つとなくかけられた桐油小屋、バケツの中に一杯滿された酒、年寄も若者も一緒になつて賑はしく歌を唄つて躍つた。
彼處に五日、此處に三日といふやうにして、かれ等は次第に國の方へと近づきつゝ放浪して行つた。峯から峯、谷から谷、林から林と移つて行くかれ等は、ある宿泊地で、最初に、三人づれの同種族と一緒になつた。
老いた婦に若夫婦、その若夫婦は今年二つになる子供をつれてゐた。その群を最初常公が發見した。
『何うも、あそこに桐油があるかしら?』
『何處に……』
『そら、あの山の陰の林の中に。』
『あれやさうかしら?』
若い平公の嚊は、かう言つて始めは本當にしなかつたが、漸くそれは同じ種族の群であるといふことがわかつた。で、此方からも行けば向うからも來た。その群は始め十五人で、一昨年、遠い會津の山奧から南部の方へと入つて行つたが、昨年はたうとう國に歸ることが出來ず、日光の奧で年を迎へて、それから、上州から信州の方へと段々出て來たといふことであつた。艱難も多かつたらしく、その中のある群とは、會津でわかれ、南部でわかれ、最後に上州でわかれた。『今年は何うしてもな、一度、國に歸るべい思つてな。』かうその老婦は話した。
老婦は一つの位牌を肌身離さずに持つてゐた。それは一昨年同じく國を出て、途中で死に別れた一人息子の位牌であつた。老婦は涙ながらにその話をした。『會津から南部に行く途中だつたけな。急に、病氣になつてな、吐くやら反すやら、里のお醫者にもかゝる間もなくて、つい、死んで行つて了つたがな。平生丈夫ぢやつたで、こんなことがあらうとは夢にも思はなかつたで、俺ア、一時氣拔けのやうになつて了つたゞ。それでも、皆なは氣の毒だと言うて、えらく力になつて呉れしやつた。』かう言
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