張バケツと鍋とを負うてゐた。テント代りにする桐油を上から着てゐるが、帽子がないので、頭髪はびつしより濡れて額にくつゝいてゐた。
水の滿ちたバケツをかついで、常公と並んで歩きながら、
『何うしただえ?』
『えらい眼に逢つたぞな、里で、……まア、これでやつと安心した。』
『何かしたんべ?』
『うん……。』
あとは言はずに、二人はテントの張つてある方へと來た。仕事をしてゐた平公は、話聲が聞えるので、不思議にして、手をとゞめて其方を見たが、嚊と一緒に桐油を着た男が歩いて來るので、其まゝ立上つて外へ出た。
『ヤア、常公か、めづらしいな。』
『今、其處で逢つたでな……俺ア、びつくりしたよ。』若い嚊は、かう言ひながらバケツをテントの入口に下した。
『何うした、常?』
『何うしたにも、何にも、えらい眼に逢つた。』
『矢張、此處等にゐたか?』
『里へ行つたでな。』
『さうか、里へ行つてたか。……まア入れヤ……』
で、常公は負つて來た荷物を下して、そのまゝテントの中へ入つて行つた。
『寒かつたんべ。』
『寒いより何より、えらく降られてな。』かう言つたが、『おめいさ、此處にゐるとは知らなんだ……いつ來ただ?』
『もう、十日になるア。』
『いゝ仕事があるかな。』
『なんの。』
若い嚊が火を燃したり何かする傍で、常は濡れた衣を乾かした。そして、途切れ途切れに、自分のやつて來たことを相手に話した。常は五六人の仲間と、木曾の山の中を通つて、針の木の方まで行つた。何うも旨いことがない。里に近いやうなところは、警察がやかましかつたり、木材がなかつたりして、仕事が出來ない。さうかと言つて、あまり山の中では、折角、好い木があつても、それを里へ持つて行くのに不便だ。仕方がないので、烟硝を買つて來て、穴蜂の巣を取つたり、川へ下りて、岩魚や鰍を取つたりしたが、何うも思はしくない。で、針の木で皆とわかれて、一人になつて里へ出た。或町では乞食をした。ある村では畠のものを盜んで一里も追ひかけられた。それからある處では石灰の取れる山に工夫になつて行つて、そこで一月ほど働いた。
『何うしてぼや[#「ぼや」に傍点]された?』
かう訊かれても、常はぐづ/\してゐるので、
『あまつ子にかゝつたんべ?』
『…………。』
『あまつ子にかゝつちや、里ぢや、ぼや[#「ぼや」に傍点]されるア。』
『なアにな、俺もわりんさ。』常はかう言つて、『何うせ里にやゐられねえ。山へつツ走らうと思つてゐただでな。つい出來心でな。』
『工夫をしてたか?』
『いや、それからはいろんなことをしただ。工夫を一月して、それからまた乞食をして、町の中を荒して歩いて、四五日前に、この下の村さ來たゞ。里はもうよく/\厭だ。今日山へ來ようか明日山へ突走らうかと思つてゐたゞ。停車場があらアな。あそこから山へ出て來ると、畠にひとりあまつ子が出て働いてゐる。綺麗なあまつ子だ。ふと、ひよんな氣になつた。……おめいさ、それも無理はあんめい、女ツ子の肌なんて、今年は一度だツて出會さねえんだからな。』かう言ひかけて常は笑つた。
『で、かゝつたんか?』
『さうよ。旨くやつたんよ。ところがそれが知れてな。昨日、一日、あの雨の中を逐ひ廻されて、それからやつとの思ひで此方へと入つて來た。』
『おまはりも出て來たかや?』
『出て來たにも何にも……』
『それやいかんな。此處まで來やしねえか。』
『この雨だから、此處までは來めいがな。』
『なんともわかんねえぞよ。』
平公はいくらか不安になつたといふ風で、『あまつ子にかゝるのはわりいぞよ。おめつちも、だから、もう上さん持てツて言ふんだ。』考へて、『大丈夫かな、來やしねえかえ、此處はまだ里に近いでな。』
『大丈夫だんべ。』
『でも、安心なんねえな。この向うの山越せや、大丈夫だがな。』
俄かに平公は不安心になつて來た。飛んでもねえ奴に入つて來られたとも思つた。平公は明るくなつて來た空とまだ餘り遲くない日射とを見た。幸ひに此處には仕事はもう澤山に溜つてゐなかつた。四日ほど前に嚊と二人で里に下りて、仕事したものを米と金とに代へて來た。
『天氣も上りさうだで、向うまで行かうかや?』
『これから?』
若い嚊は眼を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85、76−10]つて、
『でも、此處にゐちや、危ねえからな。』
『ぢや、おらつち一人行くべいか。』かう言つて常は立上つた。
『おめい、獨り行つたツて、おまはりが此處に來ちや駄目だアな。何アに好い。行くべい、行くべい。此處にや、もう用はねえだでな。』決心したやうに、『何アに、二里とちよつとだ。今、行けや、日のある中に向うへ行き着けるだ。』
で、平公は急いで出發の準備に取懸つた。山から山へと放浪して行くかれ等の生活は、いざと言へば極めて單純なものであつた。鍋
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