かかあ》があったはずだ。上陸当座はいっしょによく徴発に行ったっけ。豚を逐《お》い廻《まわ》したッけ。けれどあの男はもはやこの世の中にいないのだ。いないとはどうしても思えん。思えんがいないのだ。
 褐色の道路を、糧餉《ひょうろう》を満載した車がぞろぞろ行く。騾車《らしゃ》、驢車《ろしゃ》、支那人の爺《おやじ》のウオウオウイウイが聞こえる。長い鞭《むち》が夕日に光って、一種の音を空気に伝える。路の凸凹《でこぼこ》がはげしいので、車は波を打つようにしてガタガタ動いていく。苦しい、息が苦しい。こう苦しくってはしかたがない。頼んで乗せてもらおうと思ってかれは駆け出した。
 金椀がカタカタ鳴る。はげしく鳴る。背嚢の中の雑品や弾丸袋の弾丸がけたたましく躍《おど》り上がる。銃の台が時々|脛《すね》を打って飛び上がるほど痛い。
 「オーい、オーい」
 声が立たない。
 「オーい、オーい」
 全身の力を絞って呼んだ。聞こえたに相違ないが振り向いてもみない。どうせ碌《ろく》なことではないと知っているのだろう。一時思い止《と》まったが、また駆け出した。そして今度はその最後の一輌《いちりょう》にようやく追い着い
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