うに押し寄せては引き、引いては押し寄せる。押し寄せるたびに脣《くちびる》を噛《か》み、歯をくいしばり、脚を両手でつかんだ。
 五官のほかにある別種の官能の力が加わったかと思った。暗かった室《へや》がそれとはっきり見える。暗色の壁に添うて高いテーブルが置いてある。上に白いのは確かに紙だ。ガラス窓の半分が破れていて、星がきらきらと大空にきらめいているのが認められた。右の一隅には、何かごたごた置かれてあった。
 時間の経《た》っていくのなどはもうかれにはわからなくなった。軍医が来てくれればいいと思ったが、それを続けて考える暇はなかった。新しい苦痛が増した。
 床近く蟋蟀《こおろぎ》が鳴いていた。苦痛に悶《もだ》えながら、「あ、蟋蟀が鳴いている……」とかれは思った。その哀切な虫の調べがなんだか全身に沁《し》み入るように覚えた。
 疼痛、疼痛、かれはさらに輾転反側した。

 「苦しい! 苦しい! 苦しい!」
 続けざまにけたたましく叫んだ。
 「苦しい、誰か……誰かおらんか」
 としばらくしてまた叫んだ。
 強烈なる生存の力ももうよほど衰えてしまった。意識的に救助を求めると言うよりは、今はほとん
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