ください。これからはどんな難儀もする! どんな善事もする! どんなことにも背《そむ》かぬ。
渠《かれ》はおいおい声を挙《あ》げて泣き出した。
胸が間断《ひっきり》なしに込み上げてくる。涙は小児でもあるように頬《ほお》を流れる。自分の体がこの世の中になくなるということが痛切に悲しいのだ。かれの胸にはこれまで幾度も祖国を思うの念が燃えた。海上の甲板《かんぱん》で、軍歌を歌った時には悲壮の念が全身に充《み》ち渡った。敵の軍艦が突然出てきて、一砲弾のために沈められて、海底の藻屑《もくず》となっても遺憾がないと思った。金州の戦場では、機関銃の死の叫びのただ中を地に伏しつつ、勇ましく進んだ。戦友の血に塗《まみ》れた姿に胸を撲《う》ったこともないではないが、これも国のためだ、名誉だと思った。けれど人の血の流れたのは自分の血の流れたのではない。死と相面《あいめん》しては、いかなる勇者も戦慄《せんりつ》する。
脚が重い、けだるい、胸がむかつく。大石橋から十里、二日の路、夜露、悪寒《おかん》、確かに持病の脚気《かっけ》が昂進《こうしん》したのだ。流行腸胃熱は治《なお》ったが、急性の脚気が襲ってきたの
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