自分はとても生きて還《かえ》ることはおぼつかないという気がはげしく胸を衝《つ》いた。この病、この脚気、たといこの病は治ったにしても戦場は大なる牢獄である。いかにもがいても焦《あせ》ってもこの大なる牢獄から脱することはできぬ。得利寺で戦死した兵士がその以前かれに向かって
 「どうせ遁《のが》れられぬ穴だ。思い切りよく死ぬサ」と言ったことを思い出した。
 かれは疲労と病気と恐怖とに襲われて、いかにしてこの恐ろしい災厄を遁《のが》るべきかを考えた。脱走? それもいい、けれど捕えられた暁には、この上もない汚名をこうむったうえに同じく死! さればとて前進すれば必ず戦争の巷《ちまた》の人とならなければならぬ。戦争の巷に入れば死を覚悟しなければならぬ。かれは今始めて、病院を退院したことの愚をひしと胸に思い当たった。病院から後送されるようにすればよかった……と思った。
 もうだめだ、万事休す、遁れるに路《みち》がない。消極的の悲観が恐ろしい力でその胸を襲った。と、歩く勇気も何もなくなってしまった。とめどなく涙が流れた。神がこの世にいますなら、どうか救《たす》けてください、どうか遁路《にげみち》を教えて
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