かたまって、その間からちらちら白色褐色の民家が見える。人の影はあたりを見まわしてもないが、青い細い炊煙は糸のように淋《さび》しく立ち※[#「※」は「風+易」、第3水準1−94−7、149−10]《あ》がる。
 夕日は物の影をすべて長く曳《ひ》くようになった。高粱の高い影は二間幅の広い路を蔽《おお》って、さらに向こう側の高粱の上に蔽い重なった。路傍の小さな草の影もおびただしく長く、東方の丘陵は浮き出すようにはっきりと見える。さびしい悲しい夕暮れは譬《たと》え難い一種の影の力をもって迫ってきた。
 高粱の絶えたところに来た。忽然《こつぜん》、かれはその前に驚くべき長大なる自己の影を見た。肩の銃の影は遠い野の草の上にあった。かれは急に深い悲哀に打たれた。
 草叢《くさむら》には虫の声がする。故郷の野で聞く虫の声とは似もつかぬ。この似つかぬことと広い野原とがなんとなくその胸を痛めた。一時とだえた追懐の情が流るるように漲《みなぎ》ってきた。
 母の顔、若い妻の顔、弟の顔、女の顔が走馬燈のごとく旋回する。欅《けやき》の樹で囲まれた村の旧家、団欒《だんらん》せる平和な家庭、続いてその身が東京に修業に
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