し、数多い白堊《しろかべ》の土蔵の夕日に照されてゐるのが常に遠く街道から指《ゆびさ》された。
 主人夫妻は土地でも評判がよく、慈悲に富んで、多い小作人に対しても常に寛大な処置を取るのを以てきこえてゐた。村の内にはその家からわかれた分家、別家なども多く、その中にも既に巨万の富を重ねてゐるものなども尠《すくな》くなかつた。
 ところが、ある朝、驚くべき報知が村の人達を驚かした。
 それは娘の家出であつた。
 娘は今年二十一歳、昨年まで東京の学校に出てゐて、暑中休暇、正月の休みなどにはよく洋傘《パラソル》を日にかゞやかして、停車場からの長い道を帰つて来たが、町の人達、村の人達にも、「それ、Kさんのお嬢さんが通る。美しくならしたなア。」などと言はれてゐたが、今年は正月からずつと此方にゐて、東京に上《のぼ》つて行くやうな様子もなかつた。「もうそろ/\良縁があるんだらう。」寄ると触《さは》るとかう言つてあたりの人々は噂《うはさ》してゐた。
 それが突然姿を躱《かく》した。
 昨日ちよつと用事があると言つて、余所行《よそゆき》のちよい/\着に、銘仙の羽織、縞《しま》のコオトといふ扮装《いでたち》で、何気なくひとりで出懸けた。その姿を村の人は其処此処で見かけた。ところがそれが夜になつても帰つて来なかつた。始めは町の友達の許《もと》にでも行つて、話が面白くなつて、つい帰るのを忘れたのだらうなどと思つて、思ひ当るところに彼方此方《あちこち》と迎への使者を出したが、その人達はやがて皆な手を空《むなし》うして帰つて来た。夜は更《ふ》けて行つた。
 朝になつた。
 それでも娘の姿は何処にも発見されなかつた。
 父母、親類の心痛は一方でなく、村の人達は、一大事件としてやがて騒ぎ立つた。しかし成《なる》たけ、表沙汰にしたくない、不都合でもあつた時に困る。かう言つて、分家や別家の人達は町の警察に行つても頼めば、役場に行つても頼んだ。それを聞いた人々は皆な驚愕《おどろき》の目を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》つた。
 これが不断さうした操行のわるい評判でもある娘なら、別にそれほど世間の耳を驚かしもしないが、K氏の娘に限つては、これまでつひぞさうした噂は一度でもなかつた。また家出をするやうな事情が家庭にあるなどとも思はれなかつた。それに、娘は学問もすぐれて出来、外国語の本も読み、人一倍|立優《たちまさ》つた成績と評判とを持つてゐた。父母の愛も深かつた。
 何うしても誰か悪者か何かに誘拐《いうかい》されたに相違ない。警察でも最初の鑑定は主としてその方面に傾いた。しかし、その管内は平和で、此頃、さうしたわるい者が他から立廻つた跡もない。
「不思議なこともあるものだ。」かう署長も刑事も巡査も皆な首をひねつた。
 一番先に調べにやつた停車場では、昨日から今日にかけて、娘が汽車に乗つて行つたやうな痕跡《こんせき》はないと言つて来た。
 娘は或は村や町の人々の眼に触れるのを顧慮して、わざと別な停車場まで行つて、そこから乗つて上京しはしないかと思つて、念のため、前後二三の停車場をも調べて貰つた。しかし矢張さうした形跡は何処にもなかつた。
 もしこれが誘拐《いうかい》でなしに、自発的だとすれば、何処かの淵川《ふちかは》にでも身を投げやしないか。世間でも何も知らないけれど、その奥に何かこんがらかつた事情があつたのではないか。捜《さか》しあぐんだ後には、警察でも、かう言つて、方針をかへて、あちこちと沼の畔《ほとり》や河の岸を探らせた。
 矢張わからなかつた。
 父母の悲痛の状態は見るに忍びないほどであつた。さうした覚悟の家出なら、何とか書いたものか何かが残つてゐさうなものである。又生きてゐるものなら、途中から何等かの便《たより》がありさうなものである。しかし金も持つて行つた形跡もなければ、予《あらかじ》めさうした予定があつたらしい痕跡も残つてゐない。娘は奥の自分の居間に坐つてゐて、ふと思ひ立つて出かけたらしく、座蒲団も硯《すゞり》も筆もそのまゝになつてゐた。外国の小説らしい本が半ば開けられて、そこにちやんと赤い総《ふさ》のついた枝折《しをり》が挟んであつた。
 その日も暮れた。
 ところが、更に驚くべき報知が町や村を騒がせた。それは娘が長昌院の信者の中に雑つてゐたといふことであつた。他《はた》でそんなに大騒ぎをしてゐるのを少しも知らないやうにして、且《か》つは信仰的エクスタシイが不意に娘の魂を誘つたといふやうにして、かの女は汚い大勢の群の中に雑つて、一心に経を誦《ず》してゐたのである。人々は皆な驚愕《おどろき》の眼を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》つた。
 署長や巡査はすべてを捨てて、剣を鳴して寺へと行つた。それと知つて、父親や分家の人達も車を飛
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