めくらじまや》の主人、苦しみを持つた女、恋にもだえた女、若いのも老いたのも皆なぞろ/\とかれの後について、合掌しながら歩いた。
 始めの中は、町の警察の人達は、愚民を惑《まど》はすといふかど[#「かど」に傍点]で、頻《しき》りにそれを取締つたが、しかもこの不思議な信仰の「あらはれ」を何《ど》うすることも出来なかつた。ところどころで、巡査は剣を鳴してやつて来て、その群《むれ》に解散を命じた。一時は群集はあちこちに散つて行つても、瞬《またゝ》く間にまたあとからぞろ/\と続いた。店で仕事をしてゐた女が跣足《はだし》で飛び出して来てその群の中に雑《まじ》つた。
 ある時は、寺の世話人達が町の警察署に呼ばれて行つた。
 世話人は種々《いろ/\》なことを訊《き》かれた。しかしその不思議な僧の行為の中には、あやしいやうなことは少しもなかつた。すべて自然であつた。愚民を惑はすための行為らしい行為は何処にも発見することが出来なかつた。
 世話人の一人は言つた。
「何うも、私達も困つてをりますのです。実は、寺の再興のために呼んで来たのですが、私達の申すことや、普通の僧侶のしなければならないことや、寺のことは何にもせずに、朝からお経ばかりを読んでゐるのですから……。米を持つて行かなければ行かないで、二日も三日も食はずにゐるやうな坊さんですから……。いゝえ、別に不思議なことをすると言ふのではありません。唯、お経を読んでゐるばかりです。別に説教めいたことは致しません。あゝして托鉢《たくはつ》して歩いてゐるばかりです。」
 署長も後には首を傾けずには居られなかつた。
 かれのあとについて行く群集は、次第にその数を増した。或は町の角、或は停車場の方へ行く路、或は小学校の裏の畑、或は小川に沿つた道、さういふところを大勢の信者達はかれと同じやうにして合掌読経してついて行つた。ある駅からある駅へと通じてる長い街道には、うらゝかな春の日が照つて、かげろふが静かにその群集の上に靡《なび》いた。
 時には今出たばかりの月が、黒いはつきりした林を背景にして、圏《わ》を成して集つてゐる群集と僧とを照した。

     十六

 この不思議な僧の托鉢の話は、五六里隔つた町に嫁《か》して行つてゐる寺の先々代の娘の許《もと》まできこえた。
 娘はもう三十六七の上《かみ》さんであつた。そこは穀物を商《あきな》ふやうな店で、街道に面した家の前には、馬に糧《かて》をやるために、運送の荷車などがよく来てはとまつた。上さんはふすま[#「ふすま」に傍点]を馬方の出した大きな桶《をけ》に入れてやつたりした。
 上さんとその亭主の間には子供がなかつた。
 亭主は四十五六位の正直な男で、せつせと箕《み》で大豆や小豆《あづき》に雑つてゐる塵埃《ごみ》を振《ふる》つてゐるのを人々はよく見かけた。
 その村の不思議な僧の話を馬方や町の人達が上さんに話した。
 始めはそれが自分の成長した寺での出来事とは知らず、また先代の放埒《はうらつ》のために廃寺同様になつてゐる寺にさういふことがあらうとは思はないので、好い加減に聞いてゐたが、その話が度々《たび/\》耳に入るので、ある時、
「何ツて言ふんだね、その寺は?」
「何ツて言つたけな……」馬方は考へて、「さう/\長昌院ツて言つたつけ。」
「長昌院?」
 上《かみ》さんは眼を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》つた。
 そればかりではなかつた。段々聞くと、その不思議なことをする僧は、かの女の知つてゐる慈海らしいので、いよ/\驚愕《きやうがく》の念を深くした。
「その和尚《をしやう》、慈海ツて言ひやしねいかえ?」
「何ツて言ふか名は知らねえが、何でも先代の弟|弟子《でし》だツて言ふこつた。」
「それぢや、慈海さんに違ひない。何時《いつ》から来たんだ?」
「何でも去年あたりだんべ。丸つきりお経べい読んでゐるツていこつた。」
「へえ?」
 上さんの心は動かずには居られなかつた。東京に行つてからの慈海の噂《うはさ》も始めは少しきいてゐたので、さうした和尚になるとはちよつと想像が出来なかつたが、段々|聞糺《きゝたゞ》して見ると、てつきりそれは慈海であるに相違ないことが段々わかつた。
 上さんは不思議にもぢつとしては居られなかつた。ある深い渇仰《かつがう》に似た念が溢《あふ》れるやうに漲《みなぎ》つて来た。それは昔の慈海に逢ひたいといふ心持ではなかつた。単になつかしいといふやうな心持でもなかつた。長年抱いてゐた重荷を下ろして救つて貰はなければならないやうな気がした。
 店が忙しいために、その願ひも遂《と》げられずに幾日か経つたが、其間にも片時もそれを忘れることは出来なかつた。上さんは願《ぐわん》をかけて仏にお礼参りを怠つてゐるやうなすまなさを感じた。
 ある晴
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