考へると、幸福なもの必ずしも幸福でなく、不幸なもの必ずしも不幸でない。何の故《ゆゑ》に? 一つと一つと合つたものも矢張もとは二つのもので、永久に一つであることは出来ないが故に――。一つと二つと合つたものも、遂《つひ》には一に帰さなければならないが故に――。
自己の持つたものを失ふの辛さ、自己の持ち得たと思つたものを失ふの辛さ、これほど辛いものはない。それがよく女や男を川へと伴《つ》れて行く……。
かれは其処まで考へて、大きな溜息を吐《つ》いた。そこに大きな欠陥があるやうな気がした。染まるべからざるものに染つて行く可能性を賦与《ふよ》した自然は? 絶対に自己のものにする事の出来ないものを自己のものとなし得る可能性を賦与した自然は? 満されたる心の飽満から生ずる倦怠《けんたい》、餓《う》やされたる心の寂寥《せきれう》から起つて来る憧憬《しようけい》、これは実は一つであるのではないか。同じことではないか。
しかし満されざる心と餓やされたる心とは同じでない。飽満《はうまん》と寂蓼とは同じでない。倦怠と憧憬とは同じでない。それでゐてこれが同じであると言はなければならなくなるのは何の故であらう。死にまで深く染着《せんちやく》した心は美しくはないか、勇ましくはないか、雄々しくはないか、また優しく悲しくはないか。これが人間の最後の「詩」であり且《か》つ「宗教」ではないか。
文明は虚偽を生んだ。デカダンを生んだ。勝者の権利を生んだ。「自己」を生んだ。現にかれなどはそれを真向《まつかう》に振翳《ふりかざ》してこれまでの人生を渡つて来た。智慧《ちゑ》を戦はして勝たんことを欲した。自己の欲するまゝにあらゆるものを得んことを欲した。そのために、かれには富んだもの栄えたもの主権を把持《はぢ》したものがその対象となつた。山も丘も平野も一緒に平らにならなければならないと思つた。
しかし平等は物質にあるのではない。人生と人性との表面にあるのではない。勝利者にあるのではない。智慧《ちゑ》と手段とを戦はして勝つたところにあるのではない。かう考へると、「恐ろしい群」の人達のことが、再びかれの胸に迫つて来た。折角《せつかく》さぐり出した秘密の糸がそこでぽツつり絶えてゐるのを感じた。
「あゝ、もうよさう、考へるのは止さう。もつと静かに休まなければならない体だ。何事をも捨てたやうに、この簇《むらが》つ
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