市場で、白い大根や、蕪《かぶ》や、赤い芋が、山のように積みあげてありました。
「ほう、こんな所に芋があるのかなあ」それは新しい発見でありました。
「君、ここは神田の鍛冶町《かじちょう》だよ、ほら、
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神田鍛冶町の
角の乾物屋の勝栗《かちぐり》ア
堅くて噛《か》めない
勝栗《かちぐり》ア神田の……」
[#ここで字下げ終わり]
「は、は、は、あの乾物屋だね、きっと」
 二人にとってはそんな風に、何もかも見るものすべて珍しく面白かった。どうしてだろう。学校を脱出《エスケープ》することは善いことではない。何故《なぜ》善いことでないか、それにははっきり答えることが出来ないのでした。それにもかかわらずこの航海は素敵におもしろいように見えるのでした。お祭よりも日曜日よりも、もっと、何かしら違った新しい誘惑がありました。
 学校の休日《やすみび》でない日に、こうして街を歩くということは、今まで曾《かつ》てないことでもあったし、冒険に似た心持がうれしいのだった。鎖を放たれた小犬のようにゆっくり歩くことが出来ないで、どんどんと駈《か》けだしました。けれど出窓のところに紅雀《べにすずめ》がいたり、垣根のわきに日輪草《ひまわり》が咲いていたりすると、きっと立止って、珍らしそうに眺めたり、手に触れるものは、きっと触って見るのでした。
 いつの間にか二人は、日本橋を渡っていました。それから二人はまた野犬《のらいぬ》のように、あっちへ鼻をくっつけたり、こっちへ耳を立てて見たりしながら、どこをどう歩いたのか、大きな川のそばへ出ていました。
「隅田川だね」
「ああ」
 ここまでやって来ると、もう二人ともすこし疲れて、それに腹がへっていましたから、ものを言うのさえ臆劫《おっくう》なのでした。だまって川の端の石の上へ腰をおろしました。
 一銭蒸気がぼくぼくぼくと、首だけ出して犬が川を渡るような恰好《かっこう》をして川を上ったり下ったりしていました。
「お腹《なか》がすいたね」
「君は弁当持ってる?」
「持ってない、君持ってるの」
「パンがあるよ」
 二人は一つの弁当をかわるがわるちぎって食べました。すると何か飲むものがほしくなりました。
 眼《め》の前には沢山水が流れていましたが、黄いろい色をした泥水でした。道の向うに、赤いカーテンを窓にかけた喫茶店がありました。金さえ持っていれば
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