イゼル(その髯《ひげ》からのニックネーム)が、教壇の上で出席簿をつける。
「ミスタ、ヤマダ」
「ヒヤ」
「ミスタ、コバヤシ」
「ヒヤ」
「ミスタ、ヤマカワ」
「ヒイイズ、アブセン」
 Aは、ニコライの柵《さく》のところから、東京の街を見おろしながら、ミスタ、ヤマカワと呼ばれたような気がして、ひやっとしたのです。
「山川《やまかわ》、銀座の方へ散歩しようじゃないか」
 Bがそう言ったのです。
「うん」
「しっかりしろよ、もう学校はあきらめたんじゃないか」
「そんなこと考えてやしないよ。ただ……」
「ただ心配なんだろう。だって仕方がないよ。遅れたものは遅れたんだから」
「そうさ、銀座へゆこうよ」
 二人の小さな中学生は歩き出しました。そこはこの季節によくある、もう春がきたのかしらと思われるような、ぽかぽかと何か柔かい暖かいものが、空気の中に浮いているような素晴らしい上天気でした。
 須田町へくると、いろんな人間が忙《せわ》しそうに歩いています。その間をすりぬけて、トラックだの乗合|自働車《じどうしゃ》が、ぶうぶうと走っているので、AもBも、すっかり元気づいて、前をちょこちょこ歩いてゆく女のねじパンのような束髪の上を、恰度《ちょうど》木馬を飛越《とびこ》える要領で、飛び越えてやりたいような衝動を感じるほど、二人は元気でした。わけもなくお祭のような気がして、気の弱いAも、なんだか嬉《うれ》しくなってきたのです。
 それに年末の売出しで、景気づけの紅提燈《べにぢょうちん》がずらりと歩道の上にかかって、洋品店のバルコニーでは楽隊がマーチをやっていました。中学生達は、口笛で、足拍子をとりながら、肩をくんで、たッたッたッと歩きました。
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けむりもみえずウ くももなく
かアぜもおこらず なみたたず
かがみのごときィ こうかいはァ
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 そうです。ふたりの学生は、一杯帆に風をはらんだ船のように、肺臓に一杯空気をふくらませて、出帆しました。
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かアぜもおこらず なみたたずウ
たッ たッ たッ
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 小さな中学生達の航海は、大通《おおどおり》を真《まっ》すぐに歩くことよりも、人の知らないような航路をとる方が面白いに違いないと思われました。それで、二人はそうしました。
「この芋の山はどうだい!」そこは青物
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