で、就いてきくと、たち庖丁を燒いたので、その邊の出來合では間にあはず、堺までいつて自分で自分の腕に合ふのを買ひにゆく旅費はなし、身に染みない仕事をするより、いつそ牛めし屋の方が氣樂ですからと、言つたと言ふ。この職人の自信もまたうれしいと思ふ。
3
ある學校の教師の話に
「ある學科を教へるに一時間では短いとおもふ。生徒も教師もその學科にやつと入つてこれからいう所で、ベルが鳴る。あれで一日に數時間、責任のない教授をしたつて、生徒は徒らに頭を掻亂するに過ぎないし、教師はただ申譯の時間を過すだけです」と。この話もおもしろいと思ふ。
4
間にあわせの文化生活、文化建築、バラツク文明、活動寫眞のセツトのやうな都市、そして活動のフヰルムのやうな生活者達。
5
かりの住居に植ゑた業平竹が今年の春は、もう欝然とした藪の趣きを持つてきた。たま/\古い落葉をかいてゐると、素足の足の裏をさすものが至る所にある。四月十六日。それは筍だ。去年の竹の秋に植ゑたのも、一昨年二三本植ゑたのも、一齊に今年は筍を出してゐる。その根はもう三尺四尺の長さにまで地中にはびこつてゐる
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