舖が日本橋七日市にある。
 地震の際、主人何より先きに出入の職人の所へ樣子を身に往つた。着のみ着のまゝ避難してゐた職人を見て、まづ道具はと訊ねると
「如才はございません」と懐からバレンと刷毛《はけ》を取出して見せたといふ。紀友主人の感じていふ。さすが名人は違つてゐます、と。これが下職の名もない奴だとどさくさと逃げ後れたり、どちをふんできつと死んでゐるといふ。
 そんな職人を抱へてゐる紀友の主人も、さすが名人だとおもふ。
 聞く所によると、バレンなどといふものは、竹の皮のある時節のを採つてきて、たんねんに、纎をぬいて、それをより合せて長い綱にしてそれをぐる/\卷きこんで作るもので、とても手數と精進のいるものださうだ。そしてその刷る繪の線により面によつて、バレンの作り方も違つてゐるのださうだ。寫樂の不思議な鼻の線と、歌麿の脛のしなやかな線と、廣重の空の面を刷るバレンも手も違つてゐたのであらう。
 刷色もまた、毛が切れて毛の尖端が割れてくるまで使ひこなしたのでないと、使へないものださうだ。
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 これも榛原の主人の話だが、小間紙をたつ職人がやはり地震の時、牛めし屋になつてゐるの
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