女がある。服裝がどんなにその人の心持を支配する力を持つかといふことを感じる。またその人の性格がどんなに服裝の趣好のうちに表はれるかといふことも感じる。平和に暮してゆく人はやはり調子のとれた生活をした人であるやうに、調子のとれた服裝をした人は氣持の好いものです。黒い髮の持主が色白く、赤い髮の持主が桃色の面をしてゐることも自然の巧みである。赤い髮の少女が深い紅色の花をさした美しさを見たことがある。形のうへばかりではない、心持のうへにも調子のとれた生活をしたい。これはあなたがたにいふのではない、私自身に言ふのである。
 しかし調子の好い人間といふのではない。あまり調子の好いのはたのもしいものではない。私等はあまりたやすくYesやNoを言つてゐるやうにおもふ。心持の調子とれた人は、あらゆる問ひに直に答へられる筈はないとおもふ。太陽は必ずしも赤くはない。霧の多い春先の太陽は青磁の花瓶より青い。よく澄んだ夏の富士川の流よりも、冬の黄色い隅田川の水の美しく見えることさへある。昔から美しいと思はれたものを直に美しいと考へることは間違つてゐる。
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    王春今昔

 春に隣りする心持など、
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