口をきくのさへ臆劫になつて來た。この場合もしどちらかが口をきくとすれば、「よわりましたね」とか「草臥れませんか」と言ふ外なかつたのだから、二人は弱氣をかくして、默つて勞り合ひながら次の峰を登つていつた。
 漸くのことで、峰の頂まで登りきると、申合せたやうに、そこへ――濡れた草の上へ、べつたり腰を卸した。
 行くみちはあまりに遙かだつた。
 私達は、來た方を見返へつた。だが今越えて來たばかりの峰さへも見えなかつた。
 眼で見えない時は、耳で見る。
 白い雲の底に、かすかに瀬の音を、二人は聞いた。そして稍安堵の思ひをなした。
 マツチを五六本費して辛うじて、煙草に火をつけた。先年、金澤の高等學校の學生が白山で行衞不明になつたことを思出したが、それを話題にするには、あまりに實感が恐かつた。
「さあ、また歩きますかな」
 二人は立上つたが、歩き出しはしなかつた。もつと先へ行くか、バツクすべきかと言出しかねて立つた。おなじ道を引返すことは、どんなに窮しても興味のないことだし、やはり、白山の方角へ向いて谷の方を見てゐた。
「あれは何でせう」
 自分は、土肌を露した山の中腹に小屋のやうなものがあるの
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