峰や、鳥海山や、彌彦山は今見ても好からうと思はれる。
 山は成長するものか、衰退するものか知らないが、文晁の名山畫譜を携へてあの山々を見較べて歩いたら面白からうと思つた事がある。文晁畫譜は彼が初期の作であらうか、非常に寫實に畫いてゐるから、日本畫の弊として筆勢らしいものがいくらか山の特性を失つてゐるかも知れないとしても、克明に寫生して後世に殘したものは有難いと思ふ。
 いつの夏であつたか、加賀の白山つゞきの藥王山の麓にある、湯涌という温泉にゐたことがある。ある日曜日に金澤から見舞に來て呉れたN君と、晝飯をすまして宿の二階で、參謀本部の地圖を展げて見てゐると、湯涌村から地圖の上で二三寸山の方へ入るともう路が盡きてゐる。參謀本部の地圖に描いてない位だから人跡未到の地だ。
「一つ探險に出かけませうか」
 そんなことを言つて出かけた。
 地圖を見ながら、二里――或は三里ともまだ上がらないうちに果して路は盡きてゐる。地圖によると左右に二つばかりの峰を越えて藥王山があるわけだつた。左手の方は白山まで地圖の上で七八寸ある。
「どちらへ行つたものだらう」
 獨歩は「武藏野」の中に「路がわからなかつたら
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