あらう。自分も山へ登る事は非常に好きだが、敢て、高い山でなくとも、岡でも好い。氣に入つたとなると富士山へ一夏に三度、筑波、那須へも二度づゝ登つたが、いつも東京の街を歩くよりも勞れもせず、靴のまゝで散歩する氣持で登れた。その位な登山の經驗で山を語る資格はないのかも知れないが、山は必ずしも登らないでも眺めても、好いものではないだらうか。九州の温泉岳は就中好きな山だつたが、島原町の船の中から望み見た山のたゝずまひは、石濤の畫いた繪そのまゝの、近づきがたい容威と、抱きよせるやうなシヤルムを持つてゐる。誰が名づけたか島原では眉山と呼んでゐる。島原の港を前景にして九十九島の島影に船を浮べて見る眉山は、仰ぐといふほど近くなく、望むといふほど遠くなく、實に程好い麗しさと險しさを持つている。この土地で盆祭りや精靈流しのことも書きたいが山の話に返らう。
 海から見る山では、讃岐の象頭山と神戸の摩耶山を思ひ出す、象頭山は十六歳の私、郷里を落ちて九州へゆく時祖父と二人酒船の中から見たのと、神戸の中學へ入學した年、船の中から見た摩耶山は今も忘れないが、今見たらつまらない山かも知れない。しかし紀州灘で見た熊野の連
前へ 次へ
全94ページ中58ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
竹久 夢二 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング