だらうか。ある時代に空想したやうに一輛の馬車に、バイブル一卷、バラライカ一挺、愛人と共に荒野を漂ふジプシーの旅に任しゆく氣輕さは、いまはあまりに寂しい空想である。けれど、煉瓦塀の上にガラスの刄を植ゑた邸宅の如きが凡てなくならない限り、自由住宅の時代は來ないであらう。
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    私が歩いて來た道
       ――及び、その頃の仲間――

 旅に出て宿帳を書かされる時、いつも私はちよつとした迷惑を感ずるのが常だ。第一、住所に困る。生地とか生家とかならいつも明確に分つてゐるが、私には住所が東京にも宿屋しかない場合もあるし、日が暮れて宿る所が私にとつてその夜の住所である場合もあるし、「住所なんかないんだよ」と番頭に言つても「ごじようだんでせう」と言つて本當にしない。
 姓名も今では生みの親がつけてくれた名より用ひ馴れた方が自分にも人にも通りが好いし、本當らしいから、今では好きでないが使つてゐる。
 ところが一番困るのは職業だ。よく日本畫の大家なんか、「美術家」とか「畫伯」とかいつてゐるが、これを自分でかいたのかと思ふと少しをかしい。「ゑかき」も變だし「アーテイスト」「ペインター」
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