下駄だの足袋だのは何でも平氣なんですね。足袋なんぞは一文位足より大きいのを穿いてゐますね。早く切れるからださうです。
 夏になると白つぽい着物の下に黒い襟をかける。私ははじめこれは審美的な、コントラストの美しさを知つてゐるのかと思つて、聞いて見たら夏は襟が汚れるからださうです。
 京都では浴衣を外出する時、決して着ません。浴衣がけで歩く女はよく/\着物のない貧しい女に見られるからださうです。
 ドストエフスキーの本の中に「人間は貧乏なことは恥ぢないが、たゞ物を持つてゐないことを恥ぢる」とあったが、京都では、さうぢやないんです。
 貧乏なことも人間の恥辱であり、持つてゐない事は死ぬより辛いことなんです。だから人間が物を持つためにはどんな手段を盡してさへも平氣なんです。昔から「粥ツ腹」だの「京のお茶漬」つて言ひますが、食物は食はないでも、睛れの日に着る物の一通りは持つてゐないと附合が出來ないんです。だから自分に快適な着物とか、好尚から作った物といふのではなくたゞ「あてかて持つてまつせ」という示威運動の一つにすぎない……。
 ……京都の町の全體としても、大阪の方から來る物質的壓迫と東京の――
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