つもる思ひ」を持つてゆくのに、さて逢つて顏を見ると、もうなにもかにも心が充ちたりて、何も言ふことがないやうな氣がして、手のおきどころに困りながらだまつてゐるといふのである。
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     流れの岸の夕暮に

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愁うる人は山をゆき
思はれの子は川竹の
流れのきしのゆふぐれに
ものおもはねば美しき
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 水郷と言へばすぐ潮來《いたこ》を連想するほど、潮來は水郷として有名ではあるが、あやめが咲いて十二橋の袂に水樓のあつた昔はしらず、私が見た十七八年前の潮來でさへ、小唄に見るやうな趣はどこにもない、ぎらぎらと太陽の照りつける新開地のやうな田舍町だつた。今はどうであらう。しかし私の場合、景色が好いと言ひわるいと言ふのはいつも主觀的で、あてにはならないが、少年の時より青年の時よりも、だんだん自然を身にしみて感じるやうに、近年はなつたと思ふ。
 その後、潮來は知らないが、霞ケ浦を、土浦、白濱、牛堀、佐原、銚子と昔の讀本の挿繪のテイムス河の景色にあるやうな汽船に乘つて、ざわざわと蘆荻の中を風をたてて走つてゆく船の夜明方の心持は凉しく思ひ出せる。

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