これもはや十數年前のことだが、銚子の川口から大利根を一マイルばかり溯つたところに松岸といふ遊び場所があつた。昔、伊達家の米船が着いたと言はれてゐる所だけに、流れの岸にたつ水樓のただずまひは、さすがに昔の全盛をしのばせるものがあつた。今はどうなつたか。それから、松岸から銚子へゆく川添の道もおもしろかつた。兩側に立並んだ蠣殼と小石とを屋根に乘せた軒の低い家と、家の間からちらちらと光る水を見たことを思ひ出す。多分車に乘つてこの道を通つたのだらう。屋根の上に見える白帆と青い蘆荻の色はまだ忘れない。
自分がやつてゐる仕事のせゐか、色や形はよく憶えてゐるが、ものの名はすぐ忘れてしまふ。これは地名を忘れたが、琵琶湖から瀬多をぬけて宇治川の川上の水門のある所は、石山とともに螢の名所だつた。ある夏、瀬多から小舟を出して石山寺石門の下を過ぎてそこの村の、色のさめた蚊帳を釣つてくれた宿屋で、鯉のあらひと鯰の汁物のうまかつたことを思ひ出す。あの邊も、瀬多を中心にして、水と岸との趣が、霞ケ浦の茫漠さはないが、もさやくしのて好かつたとおもふ。ことに瀬多の唐橋の袂にあつた柳の古木は、どこか寫生帖に描いてあるはず
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