箱登羅は團七の腕へ「大勇信士」と書いた。
 四五年前のこと、南座で成駒屋一座の芝居を見て、あるアメリカの學者が、あのお婆さんになつてゐる役者が一番うまいと言つたことを思ひ出した、その婆さんに扮した役者こそは、その箱登羅であつた。
         ○
 小福の可愛いゝ横顏は、だん/\お染になつてゆく。やはり小春や梅川のいぢらしさが、この子の血をも流れてゐるやうに思へる。
 およしに扮する太郎に繪筆を投げてうつとりとしてゐたおしのさんは、龜屋を出る時、「あれで女形で通すんでせうか」ときく。
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扇雀と鶴葉の浮名たちそめし祇園もいつか初秋にいる
久松のあの横顏のほつそりと青く悲しき夏もいぬめり
さしかけし日傘の紺のてりかへしお染の襟の泣かまほしけれ
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   上方の女と江戸の女

 京都、大阪、東京の三都の女に就いて何か書いて見ないかとの話しに、つひしたはづみから受合つたが、催促の電話を受けた時分には、もう大分女の話も氣が進まないで何にも書けさうもなくなった。で、近く出版する筈の俗謠集「露地の細道」を纒めている時思ひ付いた思ひつきを書
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