やないんですね」扇雀の樂屋でBが箱登羅に聞いた。
「えゝ、これで東京なんです」
 箱登羅が答へた。「これで」といふ意味は「憚りながら江戸ですぜ」という得意の心持か、それとも今ぢやお江戸の風もいやといふ方の得意か、私にはわからなかつたが、こゝできび/\した江戸詞をきいたのは嬉しかつた。
「江戸ぢやないんだね」私が聞くと
「御戲談を、まだやつとこちらへ來てから二十五年にしかなりません」
 箱登羅は、扇雀の團七のすみを腕に書きながら話しだした。
「なにせ、わつしが大阪へ來た頃は箱根に汽車のない時分でしてね。面白い話しがあるんです。沼津から夜徹しで御殿場へぬけようてい時でした。一ツ話しですよ。わつしがあんた伯樂に間違へられたんです。同勢五人、さうですなんでも縮の浴衣をきて草鞋がけなんでせう。すると後の方から土地の百姓が追かけてくるんです。おーい/\つてね。おい呼んでるぜ、お前か、いや、お前か、いや、俺かよう」箱登羅は自分の鼻を指しながら芝居掛りです。さう言ふとえろう早えなあ馬をどけおいただつてきくから沼津へおいて來たつて言ふと歸えりに寄んなつて言つて大笑ひでしたよ」扇雀も、蝶六もみんな笑つた。
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