それから私達は、エンミイに扮した孔雀と、夕暮の清水を見に行つた。清水坂を上りながらふと聲に出した「紙治」の文句をきゝつけて
「この人はこの頃淨瑠璃をお稽古してゐるんです」と言ふ。
「ま、さう。聞かせて頂戴な」
「嘘言だよ」
 もう足かけ四年前になる、おときさんが僕の家に來ておときさんの絃で金公が「紙治」を語つたのは――。
 あの晩は面白い晩だつた。その頃まだそんなにポピユラアにならなかつたカチユーシヤの譜を作つたY君がSとかいふ聲樂家をつれて來て歌つたことも思ひ出される。
 私達が清水の舞臺へ上つた頃は、もうすつかり日が落ちて、京の街々は夕靄の中に沈んで、大路小路の街燈が遠く近く明滅してゐるのでした。
「まあ好いわねえ」
「あすこは何處?」
「あすこはねえ」
「えゝ」
「知らない」
「まあ!」
 名も知らぬ小川や、うす汚い裏小路に、人知らぬ愛情を持つてゐる私は、全く京都名所地理に不案内な案内者でした。
 音羽の瀧を上つた所で、私達は、四十ばかりの女につれられた若い娘を見ました。その娘は石を拾つては石の塔へその小石を投げてゐました。なぜさうするのかを尋ねたら「願ひが叶ふ」のだと年とつた女
前へ 次へ
全94ページ中29ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
竹久 夢二 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング