たいと思ひました。かう考へるのは、必ずしも徳子を侮辱した事ではありません。私は考へるのです。小屋や劇團の柄《がら》から言つても、第一流のものが必ずしも好きにはなれません。二流三流或は時代から全くかけはなれたものゝ中に――文學でも美術でもさうです、傍流の中に我々の生活に最も近い、親しみの深い、しみ/″\と身も魂も打込めて流れるものを感ずることのあるのは、誰もが曾て經驗したことだと思ひます。その心持で、千鳥の聲と京阪電車の騷音を併せ呑む有名な鴨川よりも、智恩院の御門前から繩手を經て大和大路の方へ靜かに流れてゆく、白河のせゝらぎの方を私はどんなに愛すでせう。
 Sさん。
 私はこの意味で、あのおどけた壬生狂言から深い人間の遺傳や性の悲哀を知り、堀川や西陣の場末の安い席亭にかゝる「大津ぶし」に人生の哀音をきいたことを忘れません。
 それは芝居ばかりではありません。江戸でいふ「場ちげえ」ほどいやみなものはありません。
 Sさん。
 こんな風に考へて、歌舞伎座へ徳子を見に出かけた私は全く失望してしまひました。こんなことをいふと所謂劇通から笑はれるかも知れませんが、私は徳子を見たのはこれがはじめで恐
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