口をきくのさへ臆劫になつて來た。この場合もしどちらかが口をきくとすれば、「よわりましたね」とか「草臥れませんか」と言ふ外なかつたのだから、二人は弱氣をかくして、默つて勞り合ひながら次の峰を登つていつた。
漸くのことで、峰の頂まで登りきると、申合せたやうに、そこへ――濡れた草の上へ、べつたり腰を卸した。
行くみちはあまりに遙かだつた。
私達は、來た方を見返へつた。だが今越えて來たばかりの峰さへも見えなかつた。
眼で見えない時は、耳で見る。
白い雲の底に、かすかに瀬の音を、二人は聞いた。そして稍安堵の思ひをなした。
マツチを五六本費して辛うじて、煙草に火をつけた。先年、金澤の高等學校の學生が白山で行衞不明になつたことを思出したが、それを話題にするには、あまりに實感が恐かつた。
「さあ、また歩きますかな」
二人は立上つたが、歩き出しはしなかつた。もつと先へ行くか、バツクすべきかと言出しかねて立つた。おなじ道を引返すことは、どんなに窮しても興味のないことだし、やはり、白山の方角へ向いて谷の方を見てゐた。
「あれは何でせう」
自分は、土肌を露した山の中腹に小屋のやうなものがあるのを指した。
「炭燒小屋でせう」
「兎に角、あの方向へいつて見ませう」
さう言つてまた峠を下つていつた。こゝで二人はかなり元氣を囘復してゐた。
果してこれは炭燒小屋であつた、人がゐるとも見えなかつた。
「こゝからなら川の方へきつと道がありますね」
二人は路を見つけて、その路を歩き出した。路は次第によくなつた。そして川の方へ向いてゆくのだつた。言はず語らず、二人はもう歸途に就いたのであつた。川瀬の音がはつきり身近かに聞かれるやうになると、路は急な坂になつた。二人はもう、別な冒險をやりながらどん/\走つてゐた。
「來た/\」
幹の間に、白い小川がちら/\と見えるのだつた。瞬く間に私達は、川の淵まで降りて來た。そして路は川の向ふについてゐる。上から見た時には、一間にも足りないまでの川だと思つたのに、淵へ来て見ると、夜來の雨で水嵩が増して二間位ある。その黄ろい水が渦を卷いてゐる。幅二間半とは、後で考へたことで、その時には音にきく富士川の激流のやうに思へたのだつた。だから、勢よく先きに歩いて來た、N君はいきなり飛越える姿勢《ポーズ》をとつた瞬間、自分は抱きとめてしまつた。ほんたうは、たとへいくらかは水に濡れるにしても、坂を走つて來た勢を止めずにいつそ飛こんだ方がよかつたのかも知れない、と後で思つたことだが。
さて、抱きとめられたN君も、淵に立つて水の勢ひを見るとさすがに二の足をふんだものか、當惑した顏を見合した。水の淺い時は、山の人たちは、徒渉るのと見えて大きな岩が川の中に並んでゐる。向岸の水際に破れた檜笠と草鞋が半足ある、そいつが馬鹿に陰氣に見えるのだつた。こゝを渉らうとして溺死した人間を想像させる哀れな姿《ポーズ》をしてゐるのだつたから。
「どうせう」
「まづぼくが瀬ぶみに飛んで見よう」
「ちよつと待ちたまへ」
自分はさう言つてN君を制して、二三間川下の岸に立つてゐるねむの木を見つけた。昔、讀本でよんだ古智に傚つて、その木へ登つていつた。ところが靴だもので、うまく登れない上に、その木がまたひどく細いので五六尺登つた所で、川の上へしなつてしまつた。今一尺先へ進んだら、多分川の中へ落ちさうに、ぶらつとしなつたのだ。
往來で轉んだ人が見られはしなかつたかと氣兼するやうに、N君の方へ見返ると、N君は笑つてゐる。
川のまん中で考へて見ると、たかゞ、丈のたゝないほどの川でもあるまいし、一里や二里から泳いだことのある自分だし、何を恐れてゐるんだらう。これも後で考へたことなのだが、この場合、たゞ濡れることを恐れたに過ぎなかつたのだ。
時計と、紙入と、寫眞機をポケツトから取出して、向ふ岸へ投げておいて、身體を二三度搖つて反動をつけておいて、向ふ岸へ飛んだ。左の足は水へ落ちたが右の足は辛じて岸へかゝつた、
N君はやつぱり、はじめの所から飛ぶことにした。思つたよりも樂に、足を少し濡らしただけでN君も無事だつた。
人間はどれだけ物を誇張して考へるものだか。
かう底が分つて見れば平氣なもので、それからも路はこの川を左岸へ渡つたり右岸へ越えたりしてゐたが、ざぶ/\腰の邊まで水につけて、杖で飛石を探りながら浸つて來た。日はいつの間にか暮れて、雨さへ降つて來たが、路がだん/\よくなつたので元氣づいた。どの位歩いたか知らなかつた。五時間あまり山を歩いたのだからまだ湯涌までは、よほど遠いと覺悟して、ある村へ着いたので、温泉場の路を聞かうととある家の戸口へ立つと、そこが宿だつた。
カリガリ博士
活動寫眞といふものはさう好きではない。殊に主題の淺薄な、プロツ
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