砂がき
竹久夢二

−−
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)厨《くりや》

|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)どの位|效果的《エフエクチープ》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、底本のページと行数)
(例)※[#「○の中に五」、47−6]

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)とう/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
−−

     十字架

[#ここから3字下げ]
”神は彼を罰して
 一人の女性の手に
 わたし給へり”
[#ここから2字下げ]
ああ、
わが負へる
白き十字架。
わが負へる柔き十字架。
人も見よ。
わが負へる美しき十字架。
[#ここで字下げ終わり]


     心飢ゆ

[#ここから2字下げ]
ひもじいと言つては人間の恥でせうか。
垣根に添うた 小徑をゆきかへる私は
決して惡漢のたぐひではありません
よその厨《くりや》からもれる味噌汁の匂が戀しいのです。
[#ここで字下げ終わり]


     故郷

[#ここから2字下げ]
いい年をしてホームシツクでもありますまい。
だが、泥棒でさへどうかすると故郷を見にゆきます。
生れた故郷が戀しいからではありません
人生があまりに寂しいからです。
[#ここで字下げ終わり]
[#改頁]
     つきくさ

[#ここから2字下げ]
おほかたのはなは
あさにひらけど
つきくさの
つゆをおくさへ
おもぶせに
よるひらくこそ
かなしけれ。
ひるはひるゆゑ
あでやかに
みちゆきびとも
ゑまひながめど
つきくさの
ほのかげに
あひよるものは
なくひとなるぞ
さびしけれ。
[#ここで字下げ終わり]


     ある思ひ出

[#ここから2字下げ]
思ひ出を哀しきものにせしは誰ぞ
君がつれなき故ならず
たけのびそめし黒髮を
手には捲きつゝ言はざりし
戀の言葉のためならず
嫁ぎゆく日のかたみとて
忘れてゆきし春の夜の
このくすだまの簪を
哀しきものにしたばかり
[#ここで字下げ終わり]


     夕餉時

[#ここから2字下げ]
夕方になつてひもじくなると
母親《おふくろ》のことを思ひ出します。
母親《おふくろ》はうまい夕餉を料つて
わたしを待つてくれました。
[#ここで字下げ終わり]


     自畫自贊

[#ここから2字下げ]
ほんたうの心は互に見ぬやうに
言はせぬやうに眼をとぢて
いたはられつゝきはきたが
何か心が身にそはぬ。
昨日のまゝの娘なら
昨日のまゝですんだもの
何か心が身にそはぬ
[#ここで字下げ終わり]
 男は女の貞操を疑つてゐるのである。ほんたうの事を知りたいけれど、聞くのを恐れてゐる。それでも何かのふしにとう/\言つて了つた。女はつと顏をあげて氷も燃えるやうな眼ざしをして、男を見つめた。やがて口の端に不自然な冷笑を浮べたかと思ふと「あなたは馬鹿ね!」と言つた。
「あなたの胸へ顏を埋めて泣きながら、ひどいわ/\ほんたうにそんなことなんかないんですもの。と言へばあなたはすつかりほんたうになさるでせう。けれどあたしがあつた事をすつかり話しちまつたらあなたはまあどうなさる。そして、それをほんたうにしないで、まだ外にもあるだらうつて、きつと聞くでせう。あたしはあなたにくど/\と責められるのがうるさいから、好い加減な事を言ふわ。それをあなたは聞きたいんですか?」男は世の中がくら/\つと覆つたやうに感じて、剥製の梟のやうなうつろな眼を女の方へ向けて、いふべき言葉を知らぬ人のやうに、長い間見つめてゐた。

[#ここから2字下げ]
ふたりをば
ひとつにしたとおもうたは
つひかなしみのときばかり。
[#ここで字下げ終わり]
 二人の上にかなりの月日が流れた。處に馴れ生活に慣れ運命に慣れて、二人があり得ることを感謝する念がなくなつたから、二人はもう全く別々な生活の感覺を持つやうになつた。それでも人生の路上には運命の恐しさを感じて、一つ線の上で心が觸れ合ふ時がある。悲しみの涙の中に二人の心が漂ひながらいつか抱合ふ。

[#ここから2字下げ]
いつのゆふべの枕邊に
おきわすれたる心ぞも
けふのわが身によりそひて
さみしがらする心ぞも。
[#ここで字下げ終わり]
 うか/\と戀のために戀をしてゐる時分の夢のかず/\は大方忘れてしまつたが、それでも淡い記憶の中に、純眞な心持で觸れあつたものだけは忘れられずにゐる。それで今の孤獨な靜寂な生活の折々に思ひ出されて却つて自分をさびしくするといふのだ。

[#ここから2字下げ]
わかきふたりは
なにもせず
なにもいはずに
ためいきばかり。
[#ここで字下げ終わり]
 逢つたらあれも聞きたい、これも言はう、と胸一杯に「
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