いふことで、家を出るから往復の道すがらどんなことがあらうとも物を言はないで、お詣りするよき人もある。惡戲好きの嫖客は、自分の知つた子が通るのを待ち構へて、何がなものを言はせようとする。髮の簪をそつと抜きとつて
「これあんたのやおまへんか」
などと言つて笑はせる。
 無言詣で、無言狂言、なんといふ詩趣の豐かな畫題であろう。無言で思ひついて、宵やまの歸りに文之助茶屋へよつて、京都の神輿かきは大變靜かだがなんと言つてかくのだと聞いたら、京のは「よいな/\」と言ふのださうな。大阪は「よいしよ/\」東京のは「わつしよ/\」夏の日盛りの炎天の下で赤や黄や草色で彩つた團扇や手拭を持つて殺倒する、東京の夏祭りは、どこまでも野趣と蠻力とを持つてゐる。灼熱と喧騒のためにいやが上にも神經を昂らせたお祭佐七が、群集の喧騷の裡で、音もたてず人を殺す心持を連想する。
 それに引きかへこの祇園祭は、九十八度の炎天の下にいともしづかに雅びやかに行はれるのはさすがである。
[#ここから2字下げ]
月鉾の稚子のくちびる玉蟲の色こきほどの言の葉もがな
[#ここで字下げ終わり]
         ○
「あんたは地體上方の人ぢやないんですね」扇雀の樂屋でBが箱登羅に聞いた。
「えゝ、これで東京なんです」
 箱登羅が答へた。「これで」といふ意味は「憚りながら江戸ですぜ」という得意の心持か、それとも今ぢやお江戸の風もいやといふ方の得意か、私にはわからなかつたが、こゝできび/\した江戸詞をきいたのは嬉しかつた。
「江戸ぢやないんだね」私が聞くと
「御戲談を、まだやつとこちらへ來てから二十五年にしかなりません」
 箱登羅は、扇雀の團七のすみを腕に書きながら話しだした。
「なにせ、わつしが大阪へ來た頃は箱根に汽車のない時分でしてね。面白い話しがあるんです。沼津から夜徹しで御殿場へぬけようてい時でした。一ツ話しですよ。わつしがあんた伯樂に間違へられたんです。同勢五人、さうですなんでも縮の浴衣をきて草鞋がけなんでせう。すると後の方から土地の百姓が追かけてくるんです。おーい/\つてね。おい呼んでるぜ、お前か、いや、お前か、いや、俺かよう」箱登羅は自分の鼻を指しながら芝居掛りです。さう言ふとえろう早えなあ馬をどけおいただつてきくから沼津へおいて來たつて言ふと歸えりに寄んなつて言つて大笑ひでしたよ」扇雀も、蝶六もみんな笑つた。箱登羅は團七の腕へ「大勇信士」と書いた。
 四五年前のこと、南座で成駒屋一座の芝居を見て、あるアメリカの學者が、あのお婆さんになつてゐる役者が一番うまいと言つたことを思ひ出した、その婆さんに扮した役者こそは、その箱登羅であつた。
         ○
 小福の可愛いゝ横顏は、だん/\お染になつてゆく。やはり小春や梅川のいぢらしさが、この子の血をも流れてゐるやうに思へる。
 およしに扮する太郎に繪筆を投げてうつとりとしてゐたおしのさんは、龜屋を出る時、「あれで女形で通すんでせうか」ときく。
[#ここから2字下げ]
扇雀と鶴葉の浮名たちそめし祇園もいつか初秋にいる
久松のあの横顏のほつそりと青く悲しき夏もいぬめり
さしかけし日傘の紺のてりかへしお染の襟の泣かまほしけれ
[#ここで字下げ終わり]
[#改頁]

   上方の女と江戸の女

 京都、大阪、東京の三都の女に就いて何か書いて見ないかとの話しに、つひしたはづみから受合つたが、催促の電話を受けた時分には、もう大分女の話も氣が進まないで何にも書けさうもなくなった。で、近く出版する筈の俗謠集「露地の細道」を纒めている時思ひ付いた思ひつきを書くことにした。
         ○
 京の六波羅に、豌豆の出來る畑がある。口へ入れると淡雪のやうに溶けて、しかもねつとりと身につくやうに甘い。同じ苗を移しても他の土地では育たないさうで、思ひ付きをほめられたさに東京の上司氏に贈ると「上方の野菜物は甘い、關東に食へるものなし、江戸は穢土なり」といふ意味のハガキを貰つたことがある。京の女は、この豌豆の味ひを持つてゐるやうだ。他の土地ではとても育ちさうにもない、郷土的な色調を持つてゐる。
「江戸者でなけりやお杉は痛がらず」という川柳がある。昔、伊勢の古市でお杉お玉が三味線を彈いてゐた。諸國の觀光客が面白半分に顏と言はず手と言はず投錢をしたのださうなが、江戸の客が一當大きな奴を投げるのでさう言つたもので、江戸つ兒の気前を見せたものである。
 所謂、江戸つ兒には、日本人なら誰にでもなれそうな氣がするが、上方者はさうは行きさうもない。
 大阪の町人は、素晴しく生活力が旺盛で、實に執着力が強い。男も女も非常に現實的で實際的で肉感的だ。生活と趣味との間に確然と川を隔てゝゐる。
         ○
 最近ある人の手紙に「また芝居の書割りのやうな雪が降
前へ 次へ
全24ページ中9ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
竹久 夢二 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング