りました。雪が降ると洗髮にしたくなります、そして外を歩いてよく風を引くのです」とあつた。これはちよつと京の女も大阪の女もしないことでせう。
 また引合に出してすままいが、東京の雪景色を俗な宗匠にたとへた三色氏の觀方は、芝居の書割りのやうだと言つた江戸の女と好い對比をなしてゐると思ひます。
 東京の雪景色はどこまでも人工的なお芝居じみたところがあることは爭はれないことです。東京に住んでゐると、自然の推移や、氣候の移り變りを殆んど氣付かずに過すことが多い。私どものやうに少年時代を田舍に過したものには、忘れてゐた信仰のやうに、山が戀しくなる時がある。上野の山下から池の端を通る時には本郷の高臺の方を眺めます。牛込の神樂坂を上る時は、きつと峠の茶屋を眼に浮べます。矢來の町をゆく時には必ず小石川關口臺の銀杏の木の上に、白い雲の浮いてゐるのを見逃しはしません。霞ヶ關を永田町の方へ上る時も、九段の坂を下る時も、重なりつらなる甍の熱病にかゝつた遠景をば、少年時代に山によせた憧憬を持つて眺めるのです。新聞に上野の彼岸櫻が咲いた消息が出るより先きに田舍者の私は生理的に春の來たことを感じます。
 江戸の人は、正月の消防の出初式に楷子の下から見る時と、兩國の花火のとき星のまばたく夜景の空を見る外、殆んど空に心をやる時はなかつたかも知れない。
 春信の繪を見ても、歌麿、豐國の繪を見ても、たま/\背景を畫いてあると、何か南畫の粉本からでも借りてきたやうな、着物の線とはまるで[#「まるで」は底本では「までる」]調子のとれない、ぎこちない線條で畫いてゐる。桐の木を一本畫いても、桐の花を知らない。紋所の桐の花を持つて來て枝に咲かせて間にはせておく。
 鼈甲屋の職人は、仕事場のわきに、紅梅を一鉢をおき、歌澤の師匠は、竹格子の出窓に朝顏の鉢植をならべ、番町の御隱居は、床の間に福壽草を据ゑて、せめて自然への心やりをしてゐる[#「ゐる」は底本では「ぬる」]に過ぎない。
 自然の移り變りを畫いたものに、「べつたら市が來た」「あやしき形に紙を切りなして胡粉ぬりたくり彩色の田樂みるやう裏にはりたる串のさまもをかし」酉の市の仕度をこんな風にかいてある。
 江戸の小唄の殆んどすべても、やはり、なげやりな人間のはかないあきらめと、ロマンチツクな意氣張りから戀のいきさつもこだはりも思ひ捨てゝ再び思ひ出すまいとしてゐる心持がどの唄にも見られる。
         ○
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卯月八日は奇黄丸それはお前何んのこつたへ、いきもとんまも蟲のせい、むかいのかゝる長ばこのペン/\草にもやるせがねえ。
鳥かげに鼠なきしてなぶられるこれも苦海のうさはらし、愚痴がのませる冷酒はしんきしんくのアヽくの世界。
蟲の音をねぎる不粹も時世なれ蟲もなかずば賣られじを因果となくよくつわ蟲。
秋の野に出て七草みれば露で小褄はみなぬれる、よしてもくんねえ鬼あざみ。
身はひとつ心はふたつ三股の流れによどむうたかたの、とけてむすぶの假枕、あかつきがたの雲の帶、なくか中洲のほとゝぎす。
忍ぶ戀路はさてはかなさよ、こんど逢ふのが命がけ涙でかくす白粉のその顏かくすむりな酒。
かねてより惡性者と知りながら虫がすいたか惚れすぎて薄情さへも場違への親切よりも身にしみていまはしんじつ身もたまも投げた朱羅宇の辻占に命とかいたもむりかいな。
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 京の街はどんな小路を歩いてゐても、きつと路のつきる所には山が見える。それは京の町が昔から言はれてゐるやうに、碁盤の目のやうに南北東西に眞直に通つてゐるから、東西北の三方には實に近く山の姿が見られる。東山が紫にかすむことも、北山に時雨が降りることも、高尾栂尾の山が紅葉することも、京の人にとつては、隨分親しみの多いことなのである。江戸の女に比べて京の女は、着物の裾をはし折つて、よく歩くことが好きだ。櫻が咲いたと言へば、折詰をこしらへて青い古渡りの毛氈をぼんさんに持たせて、嵯峨の方へ出かけて、どこの田の畦でもピクニツクをはじめる。動物園の夜櫻の下、動物の糞の匂ひをかぎながら平氣で高野豆腐をたべる。かくの如き自然兒は、江戸の女の中にはないのである。「お前とならば奥山住ひ」と唄にはあるが、深川の女にはとても田園生活は出來さうもない。
         ○
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靈山御山の五葉の松、竹葉なりとぞ人はいふわれも見る竹葉なりとも折りてもこん閨のかざしに。
月のまへのしらべは夜寒をつぐる秋風雲井のかりがねは琴柱におくるこゑ/″\。
世々の人のながめし月はまことの形見ぞとおもへば/\涙玉をつらぬく。
春によせし心もいつしかに秋にうつらふ黒木赤木のませのうちによしある花の色々。
吉野川には櫻をながむ龍田川には紅葉をながむ橋の上より文とりおと
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