には何かのぼろが乗っていた。彼はもう三分間ほど前から針の穴《みぞ》に糸を通そうとしていたが、それがどうも巧くゆかないので、部屋の暗さに腹をたてたり、しまいには糸にまで当たりちらして、「通りやがらねえな、こん畜生! 手をやかせやがって、この極道《ごくどう》めが!」と、口の中でぶつぶつ言っているところであった。アカーキイ・アカーキエウィッチは選りにも選ってこんなにペトローヴィッチがぷりぷりしているところへ来あわせたのはまずいと思った。というのは、彼はペトローヴィッチが少々きこしめしている時か、または彼の女房の言い草ではないが、【一つ目小僧がどぶろくに酔い潰れた】時に、何か誂えものをするのが好きだったからである。そんな場合にはたいてい、ペトローヴィッチはひどく気前よく、進んで値を引いたり、こちらの言い分を聴き入れたり、そのたんびにお辞儀をして、お礼をいったりさえするのであった。もっともその後では、いつも女房が泣きこんで来て、うちの亭主《ひと》は酔っ払っていたので、あんな安値で引受けたのだといってぐちをこぼすが、しかし十カペイカ銀貨の一枚も増してやれば、それで事なく納まるのであった。ところが今
前へ 次へ
全77ページ中19ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
平井 肇 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング