たが、農奴解放証書を握ると同時に、ペトローヴィッチと自ら名のり、したたか酒を飲むようになった。それも最初のうちは大祭日に限られていたが、後には暦に十字架のしるしさえ出ておれば、教会だけの祝祭日だろうが何だろうが、とんと見境いなしに喰い、酔うようになった。その点では父祖の習慣に忠実であったしだいであるが、女房と口論をする段になると、やれ俗物だの、ドイツ女だのとまくしたてたものである。ところで女房のことが出たからには、彼女についても一言しておかずばなるまいが、残念ながら、それはあまりよく知られていないのである。わずかにペトローヴィッチには女房があって、頭布《プラトーク》でなしに頭巾帽《チェプチック》なんぞかぶってはいるが、きりょうの点ではどう見てもほめられた柄ではなく、この女に出あって口ひげをうごめかしながら一種特別な奇声を発して、頭巾帽のかげから顔をのぞきこむのは、せいぜい近衛の兵隊ぐらいのものだということしかわかっていないのである。
 ペトローヴィッチのすまいへ通ずる階段をえっちらおっちら登りながら――それはほんとうのことをいえば、こぼれ水や洗い流しですっかり濡れており、また例によって
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