ると言ひ伝へられる迷信的な存在。
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さて、ものの百年も前には、死んだ祖父《ぢぢい》の話では、こんな村など、誰ひとり知つてゐる者は無かつたさうぢや。村とはいふものの、途方もなく惨めな部落だつたので! 素地《きぢ》のままで何も塗つてない丸太小屋が十軒ほど、そこここと原つぱのまんなかに剥き出しに突つ立つてゐたきりぢや。垣根もなければ、家畜や荷馬車を置くほどの、ろくろく満足な納屋ひとつない有様でな。それでもまだまだ贅沢な方で、こちとらのやうな裸か虫にいたつては、地面《ぢべた》を掘りさげた土窖《つちむろ》――それが人の住ひなのぢや! ただ立ちのぼる煙を見て、そこにも神の子の住んでゐることが頷かれるといつたていたらく。どうして又そんな生活《くらし》をしてゐたのぢやと言ひなさるのかな? 貧乏のためかといふに、なかなか、貧乏どころぢやない。なんしろその頃といへば、猫や杓子までがわれもわれもと哥薩克になつて、他所《よそ》の国々へ押し渡つて夥しい財宝を掠め取つてゐた時代でな、どちらかといへば、安住の家などを営む必要が更々なかつたからぢや。当時は、クリミヤ人でござれ、波蘭人《リャフ》でござれ、乃至はリトワニヤ人でござれ、どれもこれも世界を股にかけて渡り歩いたものぢや! そればかりか、時には自国の者が徒党を組んで同胞から掠奪を擅《ほしいまま》にすることさへあつたのぢや。いや、どんなこともあつた時代ぢやからな。
さてその頃のこと、この村へ時々ひとりの男、といふよりは寧ろ人間の形に化けた悪魔が、姿を現はした。そいつはいつたい何処から、何をしにやつて来るのか、だれ一人として知る者がなかつた。遊興に耽つて、酒に酔ひしれてゐるかと思ふと、まるで水の底へでも潜つたやうに、たちまち姿を掻き消してしまつて、なんの音沙汰もなくなるのぢや。さうかと思ふと、まただしぬけに天からでも降つたやうに、今でこそ跡形もないが、ディカーニカとはつい目と鼻のあひだにあつたその村の往還をすたすたと足ばやに歩いてゐるといふ始末なのぢや。そこでまたしても逢ふほどの哥薩克たちを残らず寄せ集めて、飲めや唄への乱痴気さわぎをおつぱじめて、銭をばら撒く、火酒《ウォツカ》は浴び放題……美しい娘つ子には、そつとすり寄るやうにして、リボンだの耳環だの頸飾だのを、もてあますほど呉れてやる! 実は、美しい娘つ子たちも、さ
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