往来をひた走りに走つたが、やうやく疲労のために駈ける足の速力がゆるんで来た。彼の心臓はまるで磨粉場《こなひきば》の臼のやうに激しくうち、汗が玉をなして流れた。疲れはてて、今にも地面へぶつ倒れさうになつた時、ふと彼の耳に、誰か後ろから追つてくるらしい跫音が聞えた……。彼の息の根はとまつてしまつた……。
「悪魔だ! 悪魔だ!」と、彼は気を失ひながらも精いつぱいに叫んだが、一瞬の後には、知覚を失つて地上へぶつ倒れてしまつた。
「悪魔だ! 悪魔だ!」さういふ声が彼の後ろの方でも聞えた。そして彼は何ものかがけたたましく自分に襲ひかかつたやうにだけは感じたが、ここで彼の記憶の糸はとぎれて、窮屈な棺桶のなかの不気味な佳人のやうにおし黙り、そのままビクとも動かずに路の真中にのびてしまつた。

      九

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前から見ればともかくも、
後ろ姿は、あれ、鬼だ!
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――民話の中より――
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「なあ、ウラース!」と、往来に寝てゐた連中の一人が、真夜なかに頭をもちあげて言つた。「おいらの近くで誰だか、悪魔だあつて叫んだでねえか!」
「お
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