ザポロージェ人たちは一斉に床の上に平伏して、異口同音に『御免なされませ、陛下! 御免なされませ!』と、叫び出した。
 鍛冶屋は何のことやらさつぱり分らぬままに、恐ろしく躍起になつて、やはり自分も床の上に這ひつくばつてしまつた。
「お待ち!」さういふ、威あつて猛からぬ、いとも爽やかな声が彼等の頭上で聞えた。一二の宮内官があわててザポロージェ人たちの肩を揺ぶつた。
「畏れ多うござりまする、陛下、起つことはなりませぬ! 金輪際、起つことはなりませぬ!」とザポロージェ人たちが叫んだ。
 ポチョームキンは唇を噛んだ。つひに自身でザポロージェ人の一人に近づいて、命令的に何か囁やいた。と、ザポロージェ人どもは起ちあがつた。
 ここで鍛冶屋は勇を鼓して顔をあげた。と、彼の眼前には、髪白粉をふりかけて、少し肥りじしの、背の低い婦人が、碧いろの眸に鷹揚で、にこやかな眼差を見せて佇んでゐた。その眼差には、何ものをも屈服せしめずには措かぬ威厳がそなはつてゐて、これこそ雲上の位にある女性にのみ特有のものであつた。
「伯爵が今日、妾がまだこれまで知らなかつた御身たちに会はせると約束されたのぢや。」と、碧い眼の貴婦人は物珍らしさうにザポロージェ人達を眺めながら言つた。「どうぢや、こちらでは御身たちを良くもてなしてをるかの?」彼女はさうつづけながら、更に間近く進みよつた。
「はつ、有難き仕合せにござりまする、陛下! 食糧は申し分のない品を支給されて居りまする、尤も当地の羊肉はわれわれザポロージェの品とは、まるで別物ではござりまするが――如何やうにもせよ、暮しの出来ぬことはござりませぬ……。」
 ポチョームキンはザポロージェ人どもが、自分の教へておいたのとはまるで違つたことを喋るのを見て、渋面をつくつた。
 一人のザポロージェ人は勿体ぶつて前へ進み出ると、かう言つた。「陛下、恐れ多いことにござりまするが、われら忠誠なる陛下の臣が、何を以つて陛下の逆鱗に触れ奉りましたのでござりませうか? われらが、あの穢れたる韃靼の輩らに味方したとでも仰せられるのでござりまするか? それともわれらが、何ぞや土耳古人に与《くみ》したとでも仰せられまするか? 行為にせよ、思想にせよ、陛下に叛逆し奉つたことでもあると仰せられまするか? 何のために御信任を失ひましたのでござりまするか? さきには処々方々に砦を築いてわれらザポ
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