を与へておいて、袋の傍へ駈け寄つた。
「何だつて、かみさんに勝手な真似をさせるだね?」と、我れに返つた織匠《はたや》が苦情を言つた。
「へつ、勝手にさせるもねえもんだ! ぢやあ、なんだつておめえ、彼女《あいつ》を近づけてしまつたのだい?」教父《クーム》は冷やかにさう答へた。
「あんたとこの火掻棒は鉄ぢやと見えるね!」暫らく黙つてゐた後、背中をさすりながら織匠《はたや》が言つた。「うちの女房《かかあ》が去年の市《いち》で二十五|哥《カペイカ》出して買つた火掻棒は、こんなに……痛かあねえだが……。」
一方、勝ち誇つた女房は、床に油燈《カガニェーツ》をおいて、袋の紐を解くと、早速なかを覗いた。
ところが、さつき、あんなに目ざとく袋を見つけた、さすがの彼女の老の眼も、今度ばかりは確かに鈍つてゐたらしい。
「へつ、この中にやあ、野豚がまるまる一匹入つてゐるよ!」さう喚《わめ》きざま、彼女は嬉しさのあまり手を拍つた。
「野豚だと! おい、まるまる一匹の野豚だとよ!」さう言つて、織匠《はたや》は教父《クーム》をゆすぶつた。「だが、何もかもお前さんのせゐだよ!」
「どうしやうがあるもんけい!」さう言つて教父《クーム》は肩をすぼめた。
「しやうがないつて? 何をおいらは、ぼんやり突つ立つてるだ? 袋を取りかへさにやあ! さあやらう!」
「さあ、退《ど》いてお呉れ! とつとと退《ど》いてお呉れ! これあ、あつしらの豚だよ!」と、織匠《はたや》は前へ飛び出しながら叫んだ。
「どきやあがれ、くそ婆あめ! これあ手前のもんぢやねえぞ!」と、教父《クーム》も詰めよりながら呶鳴つた。
女房は再び火掻棒に手を掛けたが、ちやうどその時、袋のなかからチューブが這ひずり出して、たつた今、長い眠りから眼が覚めたといはんばかりに、伸びをしながら、玄関のまん中にぬつと突つ立つた。
教父《クーム》の妻は膝を叩いて、あつと叫んだ。一同も思はず口をあんぐり開けた。
「どうでい、この馬鹿女めが、野豚だなんて吐かしやあがつて! こんな野豚があるけえ!」教父《クーム》は眼を剥きながら、さう言つた。
「ちえつ、飛んでもねえ人間を袋へ押し込めたものだ!」と、魂消て後ずさりをしながら、織匠《はたや》が言つた。「なんとでも好きなことを言ひなされだが、これあ、てつきり悪魔の仕業に違えねえぜ。第一これあ、窓から這ひ出すこと一
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