らう! それに帽子はソローハの家へ置いて来てしまつたし。ままよ、娘つ子が橇で運んでくれるのに委せることだ――さう彼は考へたのである。
 ところが、事態はチューブの全く予期せぬ結果になつた。ちやうど娘たちが橇を取りに駈け去つたのと同じ時刻に、痩《やせ》つぽの教父《クーム》が、いやに取り乱した、不機嫌な顔をして酒場から出て来た。酒場の女主人が頑として彼に貸売を承知しなかつたためだ。彼はひよつと誰か信心深い貴族でも来あはせて一杯振舞つて呉れるまで、じつと酒場で待つてゐようかとも思つたが、折悪しく、申しあはせたやうに貴族といふ貴族がみんな我が家に居残つて、堅気な基督教徒らしく、てんでの家族といつしよに蜜飯《クチャ》を食つてゐた訳だ。教父《クーム》は酒商売をしてゐる猶太女の汚ない根性と木石のやうな情《つれ》なさを忌々しく思ひながら、とぼとぼと歩いてゐたが、はたと袋につまづいて、びつくりして立ちどまつた。※[#始め二重括弧、1−2−54]はて、誰だかえれえ袋を道のまんなかに放つて行きをつたぞ!※[#終わり二重括弧、1−2−55]と、四方から仔細に眺め※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]しながら彼は呟やいた。※[#始め二重括弧、1−2−54]屹度この中にやあ豚肉が入つとるぞ。どいつだか運のええ奴が、流しでしこたま詰め込みやあがつたな! どうも、おつそろしい袋ぢやて! まあ、この中に蕎麦麺麭《グレチャーニック》と揚煎餅《コールジュ》ばかり詰まつてゐるにしても豪勢だが、これがみんな扁平麺麭《パリャニーツァ》だつたら、占めたものだ。あの猶太女め、扁平麺麭《パリャニーツァ》一つで火酒《ウォツカ》を一杯づつはよこすからな。誰にも見つからないうちに、早く持つて行かう。※[#終わり二重括弧、1−2−55]
 そこで彼は、チューブと補祭の入つてゐる袋を肩へしよつて見たが、それがどうも実に重い。※[#始め二重括弧、1−2−54]いや、これあ一人ではとても運びきれん。※[#終わり二重括弧、1−2−55]と、彼は弱音を吐いた。※[#始め二重括弧、1−2−54]やあ、ちやうど好いところへ織匠《はたや》のシャプワレンコがやつて来をつたぞ。※[#終わり二重括弧、1−2−55]「よう、オスタープ、今晩は!」
「今晩は。」と、織匠《はたや》は立ちどまつて返辞をした。
「どこへ行くだね?」
「いや別に。ぶら
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