んずと悪魔の尻尾を掴んだ。
「これ、なんといふ悪戯《わるさ》をしなさるだ!」と、笑ひながら悪魔が叫んだ。「さあ、もう沢山です、ふざけるのはいい加減になさいよ!」
「待て待て、兄弟!」と、鍛冶屋が叫んだ。「そうら、これが手前には何に見える?」さう言ひながら彼は十字を切つた。すると悪魔は、まるで仔羊のやうにおとなしくなつた。「待つてろよ。」と、その尻尾を持つて地面へ引きずりおろしながら、「さあ、このおれが、堅気な人間や正直な基督教徒を罪にひき入れをつた貴様に仕返しをしてやるぞ。」
 さういふと、鍛冶屋は不意に悪魔の上へ飛びのつて、十字を切るために手をさしあげた。
「どうか勘弁して下さい、ワクーラさん!」と、哀れつぽい声で呻くやうに悪魔が言つた。「どんなことでも、あなたの御用を勤めます。ただ懺悔をするために魂だけは放して下さい。その怖ろしい十字を私に向つて切らないで下さい!」
「へん、なんといふ声で、この忌々しい独逸人めは吠えやあがるんだ! 今こそおれは、どうしたらいいかが分つたぞ。さあ、これから直ぐにおれを背中へ乗せてつれて行け! 分つたか? 鳥のやうに飛んで行くんだ!」
「何処へ参りますので?」と、しよげ返つた悪魔がたづねた。
「彼得堡《ペテルブルグ》へだ、まつすぐに女帝陛下のところへ!」さういつた瞬間に、鍛冶屋は自分のからだが空中へ舞ひ上つて行くのを感じたが、怖ろしさのあまり、ぼうつと気を失つてしまつた。

        *        *        *

 暫らくの間オクサーナは、鍛冶屋の言ひおいて行つた変な言葉にとつおいつ心を悩まして、たたずんでゐた。彼女は心の中で、何とはなしに、余りに自分が彼につれない仕打ちをしてゐたやうに思つた。※[#始め二重括弧、1−2−54]もしや彼《あのひと》はほんとに何か怖ろしい覚悟をしたんぢやないかしら! 分りやしないわ! どんなことで、自棄《やけ》から他の女《ひと》を想ふやうになつて、面《つら》あてにでもその女《ひと》を村一番の美人だなんて言ひ出さないにも限らないわ! でも、そんなことはないわ、彼《あのひと》はあたしを愛してるんだから。あたしはこんなに美しいんだもの! 彼《あのひと》がどんなものにだつて、このあたしを見返るなんてことはないわ。彼《あのひと》は冗談にあんな真似をしてゐるだけなのよ。十分も経たないうちに、屹度
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