そもそも衣嚢《かくし》といふものが作られてをる由緒いはれの本尊仏を取り出すことを忘れなさるなよ……。そのお宝といふやつを好くことには、悪魔も人間もとんと変りがないのぢやから。」これだけ言つておいて、酒場の亭主は帳場の中へ入つてしまふと、もうそれ以上は一と言も口をきかなかつた。
祖父は胆つ玉の小さい十把一紮げの人間ではなかつた。或る時など、狼に出喰はすと、いきなりその尻尾を掴んで、生捕にしたものぢや。また哥薩克の群がる中を彼が拳しを振りまはしながら通ると、一同はまるで梨の実のやうに大地へ叩き伏せられてしまつたものぢや。とはいふものの、夜が更けて、いよいよその森の中へ足を踏みこんだ時には、さすがの祖父も肌寒い思ひがしたさうぢや。空には星影一つ見えなかつた。まるで酒窖《さかぐら》の中のやうに真暗で、物の文目《あやめ》も分らなかつた。ただ頭上はるかの梢を吹き渡る冷たい夜風の音が聞えるばかりで、樹々はあたかも酔ひしれた哥薩克の頭のやうに、だらしなく揺れながら、管を巻くやうな葉ずれの音を立ててゐる……。不意にぞうつとするやうな寒けがして、祖父は思はず羊皮の外套を心に浮かべたさうぢやが、そのとき突
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